しーもんさんがつなげてくれた方の話をする前に、もうすこしだけ、しーもんさんの話をしたい。
実は、このやりとりの数ヶ月後に、わたしはある衝動に駆られて、しーもんさんにメッセージを送った。
子どもが学校に行きたがらなくなってすぐに湧いた「学校をつくりたい」という思いが、そのとき再燃したのだった。
きっかけは忘れたけど、たぶん学校側と何かトラブルがあったんだと思う。
「フリースクールをつくります。いろいろ教えてください。」とメッセージを送ったわたしに、しーもんさんが電話をくれた。
そのときは出られなかったけど、「直接お話した方が早いと思い電話しました。気軽にお問い合わせくださいね」というメッセージが残っていたので、折り返しの電話をかけた。
しーもんさんもプロコーチなので、そのときの会話は、まるでコーチングセッションだった。
しーもんさんに話を聞いてもらううちに、わたしは自分の心をあらためて見つめなおすことができた。
わたしは、しーもんさんとは、Facebookでつながっているだけで、直接お会いしたことは一度もない。
何回か記事をシェアしたり、コメントのやりとりをさせていただいた程度。
そして、数回、メッセンジャーでやりとりさせていただいた程度。
そんな数少ないやりとりしかしていないにも関わらず、必要なときに必要なサポートをしてくださるしーもんさん。
わたしにとって「神」のような存在のおひとりだ。
わたしは、ほんとうに、人とのご縁に恵まれているなあと思う。
佐伯和也さんのブログやメルマガと、子どもの不登校のおかげで、『パラダイム・シフト』しはじめていたわたし。
だけど、まだ「サナギ」のような状態というか、これから「サナギ」になろうとしている状態というか、そんなような状態だったことが、今ならわかる。
子どもが不登校になり、「子どものために学校をつくろう」とか「子どものために居場所をつくろう」とか考える親は、少なからずいるんじゃないかなと思う。
わたしもそのひとりだし、わたしの仲間たちもそうだし、フリースクールで検索すると「不登校の子どもの親」がはじめたというケースは多いことがわかる。
「かわりの学校をつくりたい」と思い、どんな学校がいいかなあと考える中でたどり着いた「サドベリースクール」。
その自由な学びがとても魅力的で、こんな学校があったらいいなあと感じる学校。
だけど、多くのサドベリースクールが入学条件に掲げているのが、「子ども本人が、サドベリースクールに入学したいと思っていること」というもの。
この条件に出会ったとき、わたしはハタと不安になった。
わたしは、サドベリースクールにとても魅力を感じているが、肝心の長男はどうだろうか?
学校に行きたがらなくなってから、いくどかフリースクールや不登校の子どものための居場所の話をしたが、長男はあまり興味がなさそうだった。
長男は、いまの学校に行きたくないとは言っているが、かわりの学校を見つけたいとは言っていない。
それは、もしかしたら、そういう選択肢を知らないからだけかもしれないけれど、もうひとつ考えられるのは、そんなものを最初から求めていないこと。
長男は求めてもいないのに、勝手に「見つけてあげたい」「つくってあげたい」と、わたしが思っているだけなんじゃないか。
そもそも、「かわりの学校を見つけてあげなくては」と思う気持ちの前提にあるのは、「学校は行くべき」という思いこみ。
「学校は行くべき」という思いこみを取り払ったとき、「かわりの学校」や「学校のかわりとなる居場所」は必要なのか?
わたしは、しーもんさんとの会話をきっかけに、「フリースクールをつくりたい」と思っていた自分の心のさらに奥を見つめ直そう、と立ち止まった。
(次回へつづく)