今回の話は、子どもが不登校になる前の話になるのだけど、このときの経験が、子どもが不登校になってからの自分の行動に大きく影響していると感じるので、書いてみる。

 
わたしは、2015年にクラウドファンディング・プロジェクトに挑戦したことがある。
 
わたしには3人の子どもがいるが、一番上の子が赤ちゃんのころから、子ども3人全員が同じ保育園にお世話になっている。(上2人はもう卒園したが)
なので、この保育園に通ってもう11年になる。
とても素晴らしい保育園で、わたしたちは親子ともども、この保育園が大好きだ。
 
わたしたちの保育園は市独自の助成を受けていた認可外保育所だったのだけど、国の制度改革に伴い、2014年に市がその助成金を2017年度で廃止すると決定したため、保育園存続のために認可保育所への移行を決意した。
 
ところが、最初は「パチンコ屋が近くにあるから現在地では認可保育所へ移行できない」と市から言われる。
移転も検討したが、現在地で長年保育需要を支えてきた実績もあるし、現在地だからこそできる特色ある保育を続けたい、ということで、現在地での認可移行を市に訴えようと、わたしたちの保育園は署名運動を行った。
職員・保護者が一丸となり、近隣住民や全国の保育関係者などから2万筆以上の署名をわずか2か月で集めて市に提出したところ、その年に市の設置認可要綱が改訂された。
 
しかし、一難去ってまた一難。
認可保育所になるためには1千万円という「保有金」が必要ということで、今度は募金活動を開始した。
この「保有金」は借り入れ金ではまかなえないため、NPO法人として運営するわたしたちの保育園にとっては、とても大きなハードルだった。
 
募金活動でもそれなりの金額が集まったが、それでもまだ追いつかなかった。
認可保育所への移行のためには、建物の改修工事が必要となるため、その工事期間も考慮して制度廃止前に認可保育所へ移行するためには、もう時間が差し迫っていた。
 
何度も職員や保護者など保育園関係者による話し合いの場がもたれ、そこでわたしが「クラウドファンディング」による資金調達を提案した。
 
「やれることはなんでもやろう」と言いつつも、ITに疎い保育園側は当初および腰だったが、「わたしがプロジェクトを運営しますから」と、保育園としてクラウドファンディング・プロジェクトに挑戦することになった。
 
わたし自身「クラウドファンディング」など経験したことはなかったけれど、インターネットの情報拡散力を利用しないのはもったいないと思ったのだった。
 
クラウドファンディングは、挑戦するのはタダ。
たとえ失敗しても、失うものはない。
しいていえば、そこに割いた労力は無駄になるかもしれないが、わたしはそれは厭わなかった。
 
目標金額が集められなくても、困っている保育園があることを全国の人々に知ってもらうきっかけにはできる。
どちらかといえば、わたしの一番の思いは、これだけの素晴らしい保育を実践している保育園があることを、世の中の人々に知ってもらいたいというものだった。
 
素晴らしい保育を実践し、これだけ社会貢献しているにも関わらず、国の制度改革のために存続が危ぶまれるなんて、そんなことがあってはいけない、と訴えたかった。
 
成功したら儲けもの。
まずは、挑戦してみよう。
 
こうしてわたしは、うまれてはじめてクラウドファンディングに挑戦したのだった。
 
(次回へつづく)