「わたしの就職」と題して、わたしのこれまでの職歴について書いているけど、ここらですこし過去の恋愛話もまじえて語っていくことにする。

 

まあ、わたしの場合、大学選びにしろ、実家を出るのにしろ、恋愛がらみだったけどね。 

 

ただ、ここから先は、女性の人生の大きな転機となる、結婚やら出産やらの影響をもろに受ける時期に突入するので、さらにそういうネタをまじえて語らざるをえない。

 

前回の記事で書いた図面屋さんに就職したころ、わたしはつくばのときから一緒に暮らしていた恋人と引き続きおつきあいしていた。

 

つくばへ追いかけていったときから、彼とは結婚するつもりだった。

両親にもそのつもりであると話した上で、転勤についていったのだった。

 

しかし、結婚へは至らないまま、それから何年か同棲生活が続いた。

 

同棲生活を送りながらも、ふたりの関係性はあまりよい状態ではなかった。

 

実は、彼と過ごした日々は、今となっては「苦しかった」という記憶しか残っておらず、不思議なことに、当時の記憶として残っているのは、つくばでの仕事やそこで知り合った人々との思い出、図面屋さんでの仕事やその職場の同僚との思い出ばかりなのだ。

あのころ、彼とどんな日々を過ごしていたのか、わたしは残念ながらほとんどおぼえていない。

 

彼とは、わたしが大学を卒業してすぐにアルバイトで勤めた測量事務所で出会い、そのときからのおつきあいだった。

出会った当時は、彼もアルバイトだったけれど、つくばへの転勤のときに彼は正社員として登用された。

 

当時その測量事務所は、東北は仙台にしか営業所がなかったのだけど、岩手にも営業所をつくろうという話がかねてよりあった。

彼は岩手県出身だったので、岩手に営業所を出すときには自分が行きたい、とずっと言っていた。

 

つくばで社員となり、すこし社員としての経験を積んでから、岩手の営業所の立ち上げを彼がするという流れで、話が進んでいた。

 

しかし、以前の話で書いたようにアクシデントが重なり、つくばからすぐに仙台にもどることになった。

 

仙台にもどって二年くらい経ったところで、ついに岩手の立ち上げの話が具体的になってきた。

 

社員は彼ひとりが岩手へ行き、地元でアルバイトを採用し、少しずつ仕事の規模を広げていくことになった。

 

事務所兼社宅となる戸建て賃貸住宅を見つけ、そこに営業所を開設した。

 

ほんとうは、わたしもそこで彼と一緒に暮らし、事務兼CADオペとして彼の仕事を手伝うことになるはずだった。

 

具体的な話をされたわけではなかったけど、いよいよ結婚という雰囲気だったわけだ。

 

ただ、そのころちょうどわたしは図面屋さんの仕事に慣れてきて、おもしろくなってきたところだった。

 

彼の仕事を手伝うことは、以前からのわたしの夢でもあったのだけど、やっとはじめることができた建築の仕事からも、離れがたい気持ちが湧いてきた。

 

彼の仕事を手伝いはじめたら、わたしはもう建築の仕事は一生できないかもしれない。

(今なら決してそんなことはないとわかるけど、当時はそんな風に考えたということ)

 

ちょうど担当していた案件があったのだったかなあ。

「もう少しキリのよいところまで仕事をやってから、岩手に行かせてほしい」と言い、とりあえず、わたしは一度実家にもどり、彼は単身で岩手へ行ったのだった。

 

ほんの少しの期間、離れて暮らすだけ。

はじめはそんなつもりだった。

 

でも、これは、今だから思うことだけれど、すぐについて行けなかった時点で、わたしの中では答えが出ていたのだろうなあ。

 

ここでは詳細は話さないが、わたしと彼とのあいだには、つきあった当初から抱えていた問題があった。

その問題を乗りこえて、ふたりでなんとかやっていきたい、とがんばってきたつもりだった。

だけど、わたしたちは、その問題を解決するというよりは、その問題に蓋をして問題を見てみぬふりをしてやり過ごすという方法をとることしかできなかった。

 

しかし、蓋をした問題は、いつまで経っても消えることはない。

ずっとそこに存在し続け、ふとしたきっかけで刺激を受けては、もめ事を引き起こし続けた。

デートDVのようなこともあった。

 

あのころのわたしは、いつも自分を責めていた。

すべては自分が悪いのだと、罪悪感で苦しんでいた。

 

わたしは彼とおつきあいしているあいだ、いつも、「今はつらいけれど、いつかしあわせになれるだろう。」「いつかしあわせになるために、今は苦しいけどがんばろう。」と考えていた。

 

苦しさから、死んでしまいたいと思うことすらあった。

自分で死ぬのは怖いから、あの車が今わたしをひいてくれたらいいのにと、歩道から車道を走る車を眺めていたこともあった。

 

今思えば、あのときのわたしは、心を病んでいたのだろう。

 

彼と離れて暮らすようになり、彼と一緒にいないことで楽になっている自分に、わたしは気づいてしまった。

彼はわたしにとって罪悪感のシンボルだったので、彼がそばにいることで、わたしはいつも苦しかった。そしてそれは、そっくりそのまま、彼にとってのわたしもそうだったのだと、今ならわかる。

 

「いつかしあわせになれるはず」

そう思っている自分は、

「今はしあわせじゃない」

と感じているのだということに、

そのときようやく気づいた。

 

そして、わたしは、彼と別れることを決意した。

 

26歳くらいのころのこと。

わたしの人生の分かれ道のひとつだった。

 

(次回へつづく)

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