さて、前回はまたまた脱線して、父の話になってしまったけれど。。。
とにかくわたしにとって「父の意見」というのは、決して逆らうことのできない重い縛りであるという、強い思いこみがあった。

高校三年生で、進学校の理系トップになったわたし。
たとえば、私大に学校推薦で入りたいと思えば、学校は推薦してくれたはずだ。

実際、東京の私大への学校推薦の話をされたこともあった。
偏差値63~64くらいの大学。
学校が推薦すればほぼ確実に合格するという話だった。

もしもその話を受けることができていれば、わたしはもっと楽に大学進学できたのかもしれない。

しかし、わたしは当時父から「地元の国立大学」へ行くようにと言われていた。
なぜ父がそこまで「地元の国立大学」にこだわったのかをきちんと聞いたことはない。
国立大学なら学費も安いし、実家通いなら仕送りも不要だし、何よりかわいい娘をそばにおいておきたかったのだろう。

学校も「わたしは地元の国立大学へ行きたい」というと、「そのほうがいいよね」と言って、それ以上強くは推薦の話を勧めなかった。

父も学校も、当時のわたしの学力であれば、地元の国立大学に合格することができるだろうと確信していたのだと思う。
「国立大学」への合格実績を残したい学校側としても、そのほうがよかったのだ。

しかしそのころ、わたしの中には、高校受験のころに感じた『違和感』が再び浮上してきていた。
しかも前回よりも大きく強い『違和感』として。

「勉強ができれば、将来の選択肢が広がる」
高校生になってからも、わたしが勉強をがんばるモチベーションのひとつは、この思いだった。

中学生のころは、英語の勉強に興味があり、大学は英語関係に進みたいと思っていた。
しかし、高校1年生のときの担任が数学教師で、「きみには数学のセンスがある」とその教師が言ったことで、わたしは一気に数学に興味をもつようになっていた。
高校2年生のときの「物理」を教える教師の授業がとてもおもしろく、気がつけば「数学」と「物理」が好きな、バリバリ理系女子になっていた。
以前から興味のある「英語」も、そのままよい成績を維持していた。
そしてわたしは高校3年生のころには「国立大学理系」を目指すようになっていた。

「勉強ができれば、将来の選択肢が広がる」と思っていたわたしだが、「地元の国立大学に行け」という父の望みも叶えようと思ったとき、そこにはほぼ選択肢がないように思えた。

地元には2つ国立大学があるけれど、1つは教育大学で、わたしは教員になる気はまったくなかったので、そう考えると選択肢は1つだった。
(実際は、教育大学のほうに行ったからといって、必ず教員になるわけではないのだけど、高校生の幼いわたしの知識ではそう感じてしまったということ)


「選択肢が1つしかない」

それは当時のわたしにとっては「選択の余地がない」ということだった。

「勉強ができれば、将来の選択肢が広がる」 と思ってきたのに
招かれたのは「選択の余地がない」という現実

わたしは自分が一体なんのために勉強をがんばってきたのか、わからなくなってしまった。
勉強をがんばってきた自分がバカらしく思えてしまった。

わたしにとって「選択肢が広がる」ということは『自由』ということと同義だった。
そして「選択の余地がない」ということは『不自由』ということと同義だった。

わたしは『自由』になるために努力してきたはずだったのに、『不自由』に陥っている自分に気づき、愕然としたのだった。

 

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