空ちゃんにとっての悟(さと)りとは、「空ちゃんのような吃音者(きつおんしゃ)はいかに生きていけばよいのか?」この解答を探(さが)すことでした。
地獄(じごく)のような所に落とされて「証拠(しょうこ)をあげよ!」と諭(さと)されたけど、具体的にどうしてよいのか?
よくわからないままに、取(と)りあえず当時学んでいた仏教の釈迦(しゃか)の原点ともいうべき八正道(はっしょうどう)を、自分なりに日々実践(じっせん)してみました。
八正道の最後の八番目が瞑想行(めいそうぎょう)なので、たまたま大学の図書館で、当時英語の授業で学んでいた旧約聖書を読みながら瞑想をしていたんですが、「出エジプト記」のところを読んでいて、忽然(こつぜん)としてわかったのです。
それはまさに悟りでした。ひらめきでした。どもりと思われるモーゼと神との対話のくだりを読んで、空ちゃんのような吃音者がどのように生きたらよいのかがわかったのです。このとき、「どもりの苦しみを越えて」という長文の詩を一気(いっき)に書き上げました。この詩が、これ以降60歳で会社を定年退職するまでの空ちゃんの生きる心の支(ささ)えとなりました。
空ちゃん的には「23歳の悟り」と称(しょう)しています。
悟りの内容に関しては掲載(けいさい)しません。心と生き方の問題なので、ほかの人に必ずしも当てはまるとは思えないからです。真実はいろいろあると考えるからです。空ちゃんの悟りもその中のひとつであって全(すべ)てではありません。よって、誤解を与えないために、悟りの内容は秘匿(ひとく)します。それは仏教とかキリスト教とかユダヤ教という範疇(はんちゅう)に入るとは思えないし、空ちゃん自身、それらの宗教に関しては、かなり懐疑的(かいぎてき)に思っているからでもあります。
空ちゃんの宗教に対する現在の立場は、「宗教は信じないけれども尊重はします」というような類(たぐ)いです。
Japanese version
第9話 大学の図書館にて23歳の悟り | 空ちゃん学:瞑想を楽しむ (fc2.com)
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