SEASONS ちゃんと希望を持ててたと気づいた話 | しあわせのいと

しあわせのいと

膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします

ブギウギが終わるのが悲しくて

昨日の最終回

そしてこの半年間という時間が特別に思えて


この気持ちをずっと持ち続けたい

そう思ったときに


ある曲を思い出していた




浜崎あゆみの「SEASONS」


今日がとても楽しいと

明日もきっと楽しくて

そんな日々が続いてく

そう思っていたあの頃



私はこの歌が好きで

この歌をきっかけに浜崎あゆみを好きになった。


だけど

この歌を好きと思ったその瞬間も

今までも

私はこんなこと思えなかった

と思っていた。


今この時間がもしも楽しくても

今日でさえまた嫌な気持ちになるかもしれない

この楽しさなんて

ここを離れたら終わってしまう


そう感じていた。


それはたしかに事実だった。




だけど


今日みたいに

この気持ちがずっと続いてほしい


そう思いながら

現実を見てため息をついたり

自分の生活のデフォルトが

その気持ちをあっさり打ちのめしたりして


やっぱり私は

どんなに気持ちが上がっても

どんなに明日に希望を持っても

どうせ無理なんだ


なんて

打ちのめされてた。


そして

諦めの気持ちを常に

‘忘れないように’横に置いて過ごしてきた。

自分の心を守るために。




だけどね

今思うのは


「打ちのめされる」ということは

希望を抱いてるからなんだよねって。


希望を抱いていなければ

打ちのめされもしない。


そこを打ちのめされる気持ちになるということは

私はちゃんと

「明日もきっと楽しくて」と

どこか小さくても

思えてたってことなんだよねって


20年以上前

そして

それからの私も

希望を持つ心を失ってはない人間だったんだ

ということが

今はうれしく思えた。


諦めていたかもしれない

なんなら

時には

それを言い訳にしていたかもしれない。


だけど

ちゃんと希望を持てる自分なら

自分が今日をどう生きるかが違ってくる。


だからこそ

私は

自分とちゃんと向き合うために

もう40歳近くになっても

諦めずに

ちゃんと自分と向き合おうと思って

それからの今がある。


そんなの希望しかないじゃんね。


諦めてると思いつつ

諦めてはなかったし

すべてを自分以外のせいには

しなかった自分がいたから

今がある。


この今が

別にそんな素晴らしいものなわけじゃない。


だけど

多分私が

うまく行かないあれこれを

誰かのせいだとか

何かのせいだとか

病気のせいだとか

障害のせいだとか

それに丸投げして過ごしてたら

今はないと思う。




そりゃ

誰かや何かのせいだって

そう思うことはあるよ。

今だってね。


ただ事実そうであったり

感情の揺れとともに

そういう気持ちが高ぶることはある。


だけど

もう

「そのせい」で着地してしまうのとは

違うと思う。


着地をそこにしたら

もう自分の人生を自分で歩むのを

放棄してしまうことになるから。


いや

そんなに堅いことじゃないんだけど😅

言葉にすると堅くなるな。

でもそういうことなんだけど。


だけどね

自分責めじゃないのよこれは。




今は

楽しいときは楽しむ。

1歩歩いただけでも

何かがガラガラと崩れることが起きたりすることもある。

だけど

今楽しめるなら

今何かできるなら

ちゃんと今

やりたいことをやって

今感じる気持ちを存分に味わって

ちゃんと自分は自分をつくっていこう


って思う。




なんか重いな😅


要するに

自分の時間を大切に。

今日一日を大切に。

自分を大切に。


ってことラブラブ




そういう毎日を過ごしたいと思っていますグリーンハート