自分と向き合ってきたことについて | しあわせのいと

しあわせのいと

膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします

5年前から


いい加減自分自身と向き合わなきゃと思って


コーチングを受けたり

コーチングを学んだりして


この2年は

学びよりも自分としっかり向き合おうと思い

トレーナーさんについてもらって

向き合ってきた。




そのトレーナーさんとのセッションも

あと2回になりました。


感情に蓋をするとか

うーん

もうね

何だとか

この投稿で語り尽くせないくらい

むしろまだ言語化が追いつかないほど


いろんなことに向き合いました。




今月のセッションでは

「嫌いな人、嫌いなことを、嫌いと言えない」

ことがわかって。


人からしたら

何それ?

みたいなことだけど


それを

「自分がわかっていない」ことが

大きなキーというか。


なんでもないような

だからどうした?みたいなことを

気づいてないと


たくさんのしんどいことが起こるんですよね。

でも

自分でそれがなぜなのかわからなくて

ずっと苦しい。


単純に

「嫌いな人や嫌いなことを、嫌いと言えない」

だけの話じゃない。




まずシンプルに

「嫌いな人や嫌いなことを、嫌いと思えてない」

わけですから。

意識ではね。


ほんとは嫌いなのに。


これは大変なことですよ。




それがわかって数日

いや翌日


嫌な人を嫌と思えるようになったかというと


そもそも嫌なのはわかってますからね。




どうなったかというと


その嫌いな人に会うと

本当に虫唾が走るくらい嫌な気持ちになって

体もヒヤヒヤするくらいだったんですが


「あーぁ、アホやな」


って

眺めてました。


落ち着いて。


バカにしてるんじゃなくてね

淡々と思う。


「アホやな」と思うのは

嫌いなので仕方ないんでグラサン


でも

感情感覚は

かなり平坦というか。




こんな感じで

いろいろ紐解いてきました。




こうやって向き合い始めたとき

私が何を始めたのかも聞かず

なんか怪しい宗教でも始めたかのように

ただ

怪しい怪しいと言われ


説明したらしたで

なぜか今度は

「そこまで言うなら…」

みたいなこと言われて

お前誰やねん泣き笑い

どこから見てんねん


って出来事も当初はあり


まだまだ自分がない

みたいな状態だった私は


その人みたいに言われたり

思われるんじゃないかと

怖くて


ブログにも本当は

ガッツリじゃなくてもたまには書きたい思いは

あったけど

書いてきませんでした。

多少の

こんなことやってます的なことは

書いてたと思うけど。




これからは

たまーには

こんなことも書いていくかもな

という気持ちではいます。

言葉にして伝えることも

大事だと思うんで。


書いていく保証はないですがグラサン

今でさえずぼらブロガーなんで。




この数年間は

自分を知るって大切なことだと

体感を持って知る時間でした。




自分のことなんて

自分ではわからないことがたくさんなので

これからもずっと

自分と向き合っていきます。


数年向き合ったからって

なんかすごいことになるわけでもなく

何か達観した?人になるわけでもなく


だけど

別にセッションとか受けなくてもね

私は

自分を見れてる人が好きだし

何かあったときに

自分を見つめられる人が好きだし

私もそうありたいと思います。