私を生きよう

 

この言葉は私自身のテーマであり、
また、そう願い、出会って下さる中に眠っている才能を、
ヒューマンデザインというツールを通して言語化してお伝えすることで、
「自分らしく生きる」そのお手伝いをしています。


 

 

皆さんはフェイスブックをされていますか?

 

私はこのアメブロに登録するまでは、フェイスブックを通して、
いろいろな方のブログを読むのを楽しみにしていました。



その人が何を見て、

何を感じているか


ということを発信されているブログが好きで♡

 

交流がメインだといわれることの多いフェイスブックなのに、
完全に読み物として長く楽しませてもらっていました。



それこそブログを始めてみて、

アメブロ読者登録の申請をすれば読める記事も多い!ということを知り、

そこからはフェイスブックを覗きに行く機会も減ってきましたが、

相変わらず読み物として楽しみに読ませてもらっているツールの一つです。
 


 

そのフェイスブックで知った方の記事を今日はご紹介したいと思います。
 


リアルでお会いしたことはないのですが、

森岡あゆみさんの記事も楽しみに読ませていただいている一つで♡


フェイスブックでは、ブログとはまた別にその時思ったことをアップされていることが多い方です。
 


あゆみさんが少し前に、フェイスブックにとても心に響くことを書かれていて、
そのとき、読みながら思わず涙がこぼれた記事がありました。

 


やはりとても共感された方が多かったとのことで、

今回改めてメルマガで届けてくださって。


きっと同じように心に届く方もおられるかと思ったのでシェアしますね。


 

 

―(ここから)―

 

100万円ある人が

他者に10円を与えるときと

20円しか持たない人が

他者に10円を与えるときでは

費やされる心のエネルギーの量は

まるで違っているだろう。

 

愛情もそうだ。

体力と気持ちに余裕のある人と

体力も気持ちも枯渇してる人とでは

同じ愛情表現をしていても

そこにかかる心の負荷は

まるで違っているだろう。

 

子どもというものの多くは

親を愛情の億万長者だと思い込んでいるので

自分に与えられた愛情(表現)は

何十億とあるうちの10円ぐらいに思っていたりする。

でも実際は、親の懐はかつかつで

与えられた10円は、

11円しか持ってないうちのそれで、

親のほうにはもう1円しか

残ってないってことがある。

 

それなのに子どもは

10円しかくれないとか、

100円ほしかったのにとか、

これくらいしかくれないなんて

私を愛してないからだと、

親を責めたり、自分を哀れんだりして、

自らを不幸な被害者に仕立て上げる。

 

何を隠そう私だ。

 

あるとき私は、親がくれた愛情は、

潤沢にあるものを出し惜しみして

ほんの少ししかくれなかったそれではなく

ほんとうにぎりぎりでかつかつのなかで

それでも何かを与えようともがいて

出してくれたなけなしのそれだったと気づいた。

 

たいていにおいて親の愛情は

私が望んだ形では与えてもらえなかった。

 

けれど親自身、

体にも気持ちにも余裕がなかった時期に

干からびそうな心から

なんとか愛をしぼり出そうとしてくれた。

そのことこそがまぎれもない愛じゃないか。

 

そう思ったら感謝があふれ出たし

私は自分が愛されていたことを

やっと受け入れることができた。

「与えようとしてくれること」がそもそも愛で

当たり前と思っていたそれが

いかに尊いものであるかを知った。

同時に、私がどれだけ「子ども」であったかも。

 

自分が望む形、欲しかったものをくれたときしか

愛だと認められなかった私が

望まない形に静かにノーサンキューを伝えつつ

そこに愛情を見つけ感謝できるようになったのは

その時からだ。

それは、私を幸せにした。

だって私はもう

「愛されない子」ではなくなったから。

 

 

 

愛されているかどうかというテーマを抱える人は

難解な探し物ゲームに取り組む人のようだ。

人生から、

「こんな状況の中に、愛を見つけることができる?」

と挑まれているように私には見える。

 

愛がないように見えるところに

愛を見つけること。

私はそれを許しと呼んでいる。

人によっては奇跡という人もいるようだ。

 

呼び方はまあどちらでもいい。

優しい響きとは裏腹に

それらは葛藤と苦悩にあふれた

本当に過酷なゲームでもある。

ただ、そこにたどり着けたら、

人生とか心の自由度はぐっとあがる。

それをきっと「解放」というんだろう。

   

愛に悩む全ての人が

「解放」にたどり着けたらいいとは思う。

けれど、ゲームの難易度が高すぎて

へとへとになることだってある。

 

そんなときは

無理に許しや奇跡を探さなくてもいい

とも思う。

探して見つけられない自分を責めて

不要な苦しみを味わわなくたっていい。

それだったら、愛情探しゲームから少し離れて

別のゲームをやってみたっていい。

 

 

ただ、「見つけられない」からといって

「ない」ことにはしないことは大事だ。

必ず、あるんだ。それは。どこかに。

 

 

ウォーリーを探せ!だって

ウォーリーを見つけられないページにも

必ずどこかに描かれているんだもんね。

 

 

―(ここまで)―


 

「ある」にフォーカスした時から、かなり私の人生は豊かになってきたけれど、

それでもまだまだ、相手には億万長者の愛があると思っている自分に気付かされてハッとしてポーン


自分は億万長者であることなんかないのに、
ほーーーんと自分勝手にもほどがある笑い泣きあせる



幼い頃の親への愛、親からの愛は、のちのちいろいろな人との出会いの中で育まれる、
関係づくりに大きく影響を及ぼしていくといわれるけれど、

 

もし今、その愛情が足らないと悲しみの中にいる人がいたとしたら、
あゆみさんのこの記事を読んでほしい。


あゆみさんがここに書いてくれた価値観が、優しさをもって流れ込んできた時、
そのときにもう一度その愛を受け取ることができたとしたら、すごく幸せだと思う。

 

もし、このあゆみさんのメルマガを読んで、
過去の悲しみが新しい視点をもって愛に書き換えられる人が一人でも増えてくれたら

なんだか、私、それはとても嬉しいなぁと思っていますにこ
 

あゆみさんのブログ「あゆみ通信 from逗子

 

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