こんばんは。
心屋塾認定講師ゆっかです。
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小さい頃の私は
内気で大人しくて声も小さかった。
だからかおしゃべりが苦手で
自分から話すことも不得手だった。
時に勇気を出して話してみようとすると
最後まで話ができることはまれで
途中で割って入られることがほとんどだった。
相手には悪気などないし
よくあることかもしれないけど
普段話をしない分、余計に
聞いてもらえないことは
おまえがダメだからだと言われているように
勝手に感じた。
私は話せないからダメなんだと
自分で自分を卑下した。
話を聞いてもらえるかどうかで
相手の愛情を計った。
そのくせ
聞いてもらえてたらもらえたで
話過ぎたと後悔した。
相手に全て見透かされそうで
嫌われそうで
付け込まれそうで
怖かった。
相手の話を聞く方がラクだった。
聞いてほしいのかほしくないのか
どっちやねん!
昔の私にツッコミたい(^^;)
「私の話は聞いてもらえない」
「私の話を聞いてもらいたくない」
このルーツは父だ。
昭和の頑固おやじで怒ってばかりだった。
心配性で過干渉。
私の言うことはことごとく否定された。
一言何か言うと怒声って感じ。
この人にはわかってもらえないって
早々にあきらめてた自分がいた。
話すと悲しいことになる。
このパターンを
家の外でもやってた。
投影してることに気づいたのは
心屋に出会ってから。
悲しい、さびしい、悔しい、怖い、
そんな気持ちを抱えていた
あの頃の私がいた。
そんな気持ちをもう味わわなくていいように
取った行動は
指摘されないようにちゃんとしよう
波風立てないようにしよう
期待をしすぎないようにしよう
だったな。
父と私は衝突ばかりだった。
父が押し付けてきて私が反発する。
お互いの意見を却下しあってたな。
お互い望んでる形ではくれなかったしあげなかった。
そんな中でも
わたしが父の意をくんだこともあったし
父が根負けして許してくれたこともあった。
「話を聞いてもらえない人」
ではなかったということね。
あの頃のわたしが
幻のように現れたとき
なんて声をかけてあげようか。
ひとしきりヨシヨシしてあげたら
「私は話を聞いてもらえない人」
という古すぎる思いを手放して
「みんなが私の話を聞きたがってる♪」
にパタンと変更しないとね。
真逆にするのが効果的かと。