介護の在り方がどうあるべきなのか、私はよくわかりません。
だけど、南田洋子さんは幸せだったんじゃないかな?と思います。
あんな介護をダンナにしてもらいたいとは今は思えないし、
娘にしてもらいたいとも思えない。
もっと年をとったら、してもらいたいと思うのかな?
そもそも、延命治療がすごくて、死ぬに死ねなくなったような気がしますね。
いかに長く生きたかじゃなくて、「どう生きたか」に価値を置きたいです。
あの世に半分足を突っ込んでいるのに、こっち側で引っ張っていては、
行くべきところに行けないじゃないですか。
南田さんは潮時だったんでしょうね。
ご主人が「今後どう生きていったらいいかわからない」って言ってましたが、
私だったら自由に生きるなぁ。やりたいことやって、自分と人の笑顔のために。
自分が何をもって「死」とするのか・・・
意識がなくなったり、認知症で自分がなくなったりした時のために、
何か残しておくことも必要ですね。
ひと昔前だったら死んでいる人間だって今は生きちゃうわけで。
中途半端に生きたくない。
でも、生きている以上は神様が生きろと言っているわけだし。
少なくとも、昔なかった延命治療は拒否する、とでもしておこうかな。
南田さんを見て、ここまでされれば幸せかな?と思う一方、
ここまでして生きたくない、とも思います。
でも神様のタイムテーブルには、今まで生きるという計画だったんでしょうね。
彼女は生きるのに大変だったでしょうが、ご主人が介護などを通して、
悟るべき何かがあったのかな?とも思います。
生きている以上は、必然で生かされているんでしょうね。
「意識や自分がなくなったら何の役にも立たないので、
できる限り早くあの世へ連れてってください」と、今のうちからお願いしようかな?
そういう必然にしていただきたいものです。
あの世にはスパッと行きたいですね。
中途半端にダラダラしたくないです。。。
南田さん、この世に引っ張られないで、ちゃんと行くべきところに行ってくださいね。
お疲れさまでした。