上野千鶴子氏の東大入学式祝辞について | Nothing but

Nothing but

世界に向けて発信するほどのこともなく

基本的には賛同できる内容だったと思う。

が、それは、「フェミニズムの枠内に収めない」という限りにおいてである。

私も翼を折られた側の人間であり、望まない人生を歩む者である。そして女である。

が、翼を折られたのは、私が女だったからか。

問題は幾層にも重なっており、そのうちの一つは確かに私が男であったら回避できた問題といえよう。だが、他の層においては、性別も、能力も、全く関係なかった。そこで問題となっていたのは、上野氏も言及する「環境」だった。私一人の力では、どうあがいても突破できることではなかった。置かれた環境によって、私の翼は折られることとなった。

だから上野氏の辞には基本的には賛同できると思ったのだ。だが、それをフェミニズムの文脈に収めてしまうことで、ほかにもこの世に多数存在する「劣悪な環境」を見過ごしてしまう危険性を、この辞は孕んでいるのである(というより、おそらく上野氏はそれを狙っているのであろうが)。