東大ではないけれど。 | 赤ちゃんから思春期の子育てまでトータルで応援する元保健室の先生のブログ

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● 東大ではないけれど。

こんにちは。三浦真弓です。

東京大学の入学式の、名誉教授の上野千鶴子さんによる祝辞が、あらゆるところで話題になっています。

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

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(昨年の夏、東京ドームで野球を見る前に、立ち寄ってみました)

女性学の第一人者でいらっしゃる上野先生のお言葉には、なるほど!そうですよね!と思うことばかり。

たまたま、ワイドショーで取り上げられているのを見ました。

番組内では、私が、なるほど!と思った部分に対しても、逆の意見だったり、否定的な見解だったりが、出されるときがありました。

わ〜、そういう見方があるの!?

祝辞に対して、素敵だな、と思っていたので、驚きました。

「驚きました」って、ちょっと、距離のある感覚。

何と言っても、私は、東大を出ているわけでもないし、家族で進学した人がいるわけでもないし。

この祝辞に対して、なるほど、なるほど、そうだよね〜、素敵!という感覚だったので。

しかし、ワイドショー内で、東大卒の女性コメンテータさんが語った一言で、

似たような経験があるのを思い出しました。

それは、

「東大を出てるんでしょ? これくらい、できるよね。と、どんなことでも、そういう目で見られてきました」

という言葉です。

わざと簡単なクイズを出されたり、逆にとんでもなく難しいことを質問されたり、「東大さん」というあだ名をつけられたり。

とにかく「東大卒だから」ということが、話題にされたとのことです。

この話を聞いて、思い出しました。

私が保健室の先生になったとき、

「ふぅ〜ん。愛教大出てるんだ。4年、学んでるんだから、それは良い仕事ができるね」

と、言われたことがあったのです。

私が保健室の先生の採用試験を受ける当時、合格人数の半分くらいは、短大卒の方だと聞いていました。

保健の先生になるには、看護師さんからの道と、教育学部からの道があります。

教育学部からの道では、短大で先生の資格を取られる方もありました。

当時、女の子は4年も大学に行かなくて、短大でいいんだよ!という空気感もありました。

ということで、実際に、保健室の先生として仕事をされている方に、短大卒の方が多かった時代。

私が、4年間大学に通った。

しかも、教育大学。

となると、

「愛知県で、先生になるために作られた大学を出ているんだから、それはそれは、しっかり仕事ができますよね」

と言われることになった次第です。

そう言われて、

前任者の方は、短大卒だったということですかね?

その方は、どのようなお仕事ぶりだったのかしら。

私は、それ以上にしっかり仕事をするように、期待されているということかな?

などなど、いろいろな思考が、ぐるぐるしていました。

何か、うまく行かないとか、失敗でもしようものなら、

「教育大学卒業しているのに、何をやってるの?」

と、言われそうな気がしていました。

その言葉自体は、新卒の私に、緊張感をもたせました。

教師としての姿勢も、言葉だけでなく、その先生の姿勢から、たくさん学ばせていただきました。

なので、その方に恨みなどはありません。

ただ、そのように見られるんだ、ということは、私の中に残りました。

今回の、東京大学入学式。

世界の大学から見ると、ランクが下がっているだの、なんだの言われていても、なんといっても、日本でトップの国立大学。

「東大卒」というだけで、それは素晴らしい!という視点で見てしまう自分がいます。

東大を卒業された方は、素晴らしいには違いないのですが、例えば、高卒の方が素晴らしくないと思っているわけではありません。

人それぞれに、素晴らしいところがあると思っています。

でも、やっぱり東大は、なんかすごい〜と思ってしまう一面があります。

「国公立大学医学部卒の医師による、児童売春」という報道を聞くと、

頭が良くて、お医者さんにまでなったのに、何やってるのかなぁ、全く!!!と思います。

児童売春だなんて、誰がしてもダメです。

何やってんのー!!!と思います。

でも、男性の職業が医師だとわかると。

医師ですって? 人の命を助けるのが仕事なのに、児童の尊厳を傷つけるようなことをして、良いのか? コラ!とも、思います。

高学歴であることと、その人そのものの、存在の素晴らしさとは、全くの別物のはず。

そうではあっても、その学歴を得るためにされた努力は素晴らしい、とも思ったり。

私は、東大ではないけれども、愛知県内で先生をするにあたり、愛知教育大学を出ていて、

「へぇ〜愛教大なんだ」

と声をかけられる。

一般の担任の先生方の中でも、学級崩壊とかしようものなら、

「愛教大出ていても、崩壊するんだね。

頭が良くて愛教大に行ったんだろうから、できない子どもの気持ちがわからないんだよねぇ」

というようなことを、言われてしまう。

学級崩壊の真実がどうなのか、わからなくても。

上野千鶴子先生のお話は、広く、深いお話でした。

漠然と、素晴らしい〜という感想でしたが、自分にも、無関係な話ではなかったのだなと。

そして、無意識に、世間一般的な先入観や価値観で、物事を判断している部分もあることに、気づかされました。

学歴だったり、住んでいる地域だったり、日常生活の中には、いろいろな違いがあります。

そこに所属している人には、それぞれの理由があるはず。

通り一遍の視点で、区別(差別?)したり、持ち上げたり、嫉妬したり、、、と言うことをしないよう、心して、行動していこうと思います。