引く。
たった1分で済みますから、ボクに騙されたと思って、「引く」という言葉の意味をどうかちょっとだけ調べていただけませんか? いかがですか? 「引く」という言葉には多様、多義的で、実に幅広い意味がある。すなわちそれは日本語において、またその言葉を使う日本人にとって、この「引く」という言葉は使用頻度と使用価値が高い、つまり重要な言葉である、とボクは解釈しています。 そしてこの「引く」という言葉=概念は、これまでの日本人の生き方に大きな影響を与え続けてきた言葉だとボクは思っています。 「引く」が持つ多様な概念の中でも、特に状態が冷たく静かになる、距離が拡がる、汚れや穢れが落ち無色透明になるというイメージ、例えば「熱が引く」、「引き算」、「手を引く」、最近の「ドン引き」、「引き際」などの言葉が生み出す物語に、ボクは特に「日本らしさ」を感じるのです。 そしてそれを「潔さ」や「謙虚さ」として賞賛する態度が「日本人らしさ」のひとつだと思います。その概念の延長上に、「わび、さび」などの概念があり、また「押す」ことを前提とした欧米の剣や包丁と違い、「引く」ことを前提にした日本刀や日本の包丁などの道具を生み出してきたのだろうと思います。 日本の場合、コロナ後に、この「引く」という言葉=概念=物語が改めて強く意識され、リアルな場面での生活様式もコロナ前よりも大きく変容していますが(ネット世界は別です)、欧米などではそもそも「引く」ことよりも、「押す」ことの方が幸福になるために大切な条件とされているため、コロナ中には、「押す」ことを抑圧され、強制的に「引かされた」という思いが強く、コロナ後にはその反動で、より「押す」、引くのではなく「足す」、「掛ける」、そして「表現する」、「行動する」、「騒ぐ」、「熱くなる」エネルギーが高まり、それが思い通りにならない他者への激しい怒りへと変容し、コロナ前よりも他者に対する過激な誹謗中傷やヘイトクライムや暴力行為を増加させている、そのことをボクは特にサッカーのゲームやスポーツの中に強く感じるのです。 もし日本が世界に貢献できるとすると、「引く」という日本的な概念をスポーツや政治や紛争の中で粘り強く訴え続けることかもしれません。