浩然の気。
その雰囲気、存在感、そして表情(演技力)でボクを魅了し続ける韓国の男優 ファン・ジョンミンさん(直接何度もお会いしたことがないので、彼の人間性はまったく不明ですが、一緒にいて愉しい人であって欲しいなぁ。もしそうでなくても、男優として輝いていたらそれでいいや、それが俳優さんだもんね)。 そのファン・ジョンミンさんが出演された韓国映画、「工作 黒金星と呼ばれた男」(2018年)のあるシーンで「浩然の気」という字幕が出てきたので、拝視聴終了後すぐにその言葉の意味を調べていたら、続いて儒教(朝鮮民族も教化されているよね)の基本概念、「仁義」という言葉が現れ、それらの二つのワードを理解し(再確認し)、その記憶を強く固定化できたので、妙に充実した気分になったのです。 こうしてボクにはあらたな「知識」(再解釈)が増えたのですが、自分だけの知識を増やすことに悦びを覚えることが重要なのではなく、知らないことに関心を抱き、それを徹底的に調べ、その解を自身の全心身の細胞に浸透させ理解し記憶した上で、真偽や善悪の適確な判断をし、いつか誰かのために役立とうとする意志力、つまり「知性」というものこそが大切なんだよなぁと思ったのです。 知らないことはたくさんあり(例えばボクは『工作』という言葉を、ダイレクトパス、ワンツーパンチでスペイン語に即変換できない。なのですぐに調べ記憶を固定化する。でも1か月後に忘れていたら、またシレッと覚え直す)、しかしそれは決して恥ずかしいことでもなんでもなく、その無知な状態をそのままで気分がいいのか、悪いのか、それが「知性」の有無、高低の分水嶺、峠だと思うんですよね。 さてあなたは、その「浩然の気」、「仁義」という2つの言葉を前にして、どんな態度を取るのでしょうか? この映画の鍵概念である「浩然の気」の意味を理解し映画をより愉しむ、あるいは中国で生まれた儒教を受容し変容させてきた朝鮮民族の歴史、その延長線上にあるこの映画が生まれた時代を経た上での現在の北朝鮮と韓国の関係、そして両国の政治社会状況に「浩然の気」の理解はどこまでリアルに有効なのか?有効ではないのか?そのことを考えるのか?考えないのか?その態度決定にボクは関心があります。 そうですね、ボクは死ぬまで、知らないことを(未知)知りたい(既知)と思い続ける人間でありたいし、そういう人間、つまり知性的に生きる人としか付き合いたくないな。非知性的で、かつウソを平気でつくような品性が卑しい人と時間を共有してもまったく愉しくないし、ボクに残された時間はそんなに長くないから、そういう人達と一緒に時を過ごすのはとても嫌だなぁ。 あ、そうだ忘れてました。「工作 黒金星と呼ばれた男」はとてもいい映画だったし、「浩然の気」が2回目に表示されるシーンの前後にはちょっと涙が出そうになったし、またまた主演のファン・ジョンミンさんの表情が輝いていたんだよなぁ。お薦めの映画です。 この映画で今年4月から今日まで37本の映画を拝視聴し、本は71冊、音楽は既に400アルバム以上は愉しみました。 多忙になるであろう1、2月のことを考えると、1年間に最低100冊の本を読む、その目標に到達するためには、27日までの7日間で何とか最低でも9冊以上の本を読まないと。是非、工作しましょう。そしてまだ未拝視聴のファン・ジョンミンさんの映画を年末までに3本は拝視聴しましょう。 だって、「少年老い易く・・・」と中国南宋時代の偉大な儒学者がおっしゃっていますしね。でも、かつては紅顔の美少年であったかもしれないボクは既に62歳になってしまい、まだまだ「学なり難し」だわ。