それぞれが、それぞれの場所で、生きるがよろし。 | ミタクエ・オヤシン

ミタクエ・オヤシン

【ミタクエ・オヤシン】はアメリカ・インディアン、ラコタ族の「私に繋がる全ての存在」と言う意味です。

い…忙しい…。

いったいどうしたらこんなに忙しくなるんだ?と思うぐらい、あれやこれや、ワタクシに容赦なく降りかかってくるのであーる。

 

そんな状況なのに、それでも止められないのが、オット62歳が寝てからの、愛しのポルノグラフィティ・タイムであります。

 

特別感出しまくってるけど、彼らのアルバムを最初から聞きまくるスイートな時間のことなのね。

 

これがまた生きるチカラにもなるし、果てしない理不尽すらも愛だよ、愛!と言い切れるほど、ワタクシには重要な燃料補給なのですアゲアゲ→

 

さて。

ここからはワタクシの主観1000%な意見なので、そのような認識を持った上で読んでいただきたい戯言でございます。

 

2012年に告知されたスキルス胃がんの種たち(腹膜播種なんぞがあったからね)は、未だワタクシの身体に生息中です。

がん細胞が胃壁突き破って(何度も言わせてもらうけど、胃壁突き破った瞬間が分かる、あの時のあの瞬間…って程。大激痛にもんどり打った…汗)いたけれど、執刀医の外科医らしい思い切りの良さで、胃だの胆嚢だの脾臓だのリンパ節盛り沢山摘出してくれたし、間髪入れずに抗がん剤盛ったことで、未だ生き長らえております。

 

胃がん発覚~手術~抗がん剤治療~抗がん剤治療からの離脱~精神的に病んだ時期と言う変遷を見てくれていた家族や友達は、棺おけに片足以上突っ込んでいた状況もよく知っております。

 

その私が、この世で最も愛して止まないポルノグラフィティのライヴで大暴れして、アホになって弾けて来た様子に、驚愕を通り越してガクブル状態と言っても差しさわりはないかなーと・・・思われます。

 

2017年11月からスタートした『15thライヴサーキット“BUTTERFLY EFFECT”』の前半戦のチケットは全滅。

何がいけなかったの?金か?金のチカラを使えばよいのか?と悶々と過ごした日々が一転。

後半戦で、まさかの地元山梨公演と【ホワイトデー】の上越公演のチケットをゲット出来て、それからはもう。

 

何と言ったら良いでしょうか。

 

世界がキラキラキラキラキラキラキラキラで、ハートハートハートがぶんぶんハートWハートハートで。

生きてるって最高よねー!!と、死ぬ死ぬ言ってたどの口が言う怒と、各方面から突っ込まれたのは言うまでもありません。

 

ホント、その節は申し訳ない。

まぢで死ぬと思ってたし、実際、抗がん剤治療中に死に掛けた事もあったし、術後後遺症の嚥下障害からの呼吸困難で死に掛けたことは、一度や二度じゃない。

 

一度死んで蘇ったゾンビと思って頂ければ、分かり易いかも…。

 

そうは言っても今のワタクシは、164センチで45キロ切るぐらい。

一時期は52キロまで増えた体重が、コイセヨオトメなのか、シゴトイソガシクテヤセタのか…脱げば見事な骨格標本並みのボディの持ち主。

 

そんなでも2時間を超えるポルノの熱いノリノリライヴを座席に座ることなく、アホになりきれる元気を取り戻しました。

 

…違うな。

元気を取り戻させてもらったが正しいです。

 

ヘタレな私が感じて来た病気との付き合い方には、何よりも真面目になり過ぎないと言うコツが必要でした。

 

病気と付き合っていくには、現状を受け容れること。

現状から逃げないこと(第一段階)。

辛くなったら、すたこらさっさと逃げる勇気をもつこと(第二段階)。

周囲にヘタに隠さないこと。

辛い時は辛いと言う弱さに堂々としていること。

身体によい食べ物ではなくて、自分が食べたい、食べられるものを気持ちよく食べること。

愚痴や弱音を吐ける場所を持つこと(ノートや日記に吐き出しても良い)。

西洋医学や抗がん剤を上手に取り入れ、かつ、依存し過ぎないこと。

 

そして。

好きを沢山見つけること(これが一番大事)。

頑張る時と、頑張らない時の緩急をつけること。

腹式呼吸を心掛けること(特に息をきちんと吐き切ることは重要。声が腹から出せている時は、生きるエネルギーがある)。

肩の力を抜いて、辛かったら罵詈雑言吐き出して、楽しい時は思い切り笑って。

 

そんなことを当たり前に積み重ねて行けるように出来れば、どこか光が見えて来るんじゃないかな…って思いますよ。

 

がんって病気は、非常にネオドラマティック…違った。

ドラマティックなので、やたらと悲壮感漂わせて、悲劇の主人公を演じたくもなる。

 

しかしですよ。

今の時代、3人に1人とか、2人に1人とかで、がんになっちゃうわけで。

言って見れば、全くもって特別感はナッシングなんですよ。

 

ま、私もそうでしたが、自分の闘病記と言うのは冷静な観察や記録を心掛けても、なかなか出来ないもんです。

真実にちょびっとスパイスふりかけて、自己陶酔に浸り易いものですから。

 

自分的にも、過去の闘病記を読み返すと、こっぱずかしいったら無いですわ。

生き残ったからこそ味わう、羞恥心でございます。

 

でも、それでも。

同病で闘って居る同士のような存在だったがん仲間が、一人、二人とあちらの世界へ旅立って逝かれてしまう経験もしてきて。

自分が生きている意味って何なんだろうな…と思わないで居られるなんてことは、無いんですよね。

 

自分だけ生き残ったことへの罪悪感だって、ある。

 

いつかは必ずあちらへ呼ばれるのは誰でも同じだけど。

 

あちらなのか、こちらなのか、置かれている場所、居る場所の違いは確実にある。

 

この先の私が、このまま元気満タンで生きて行かれる保証なんてどこにもなくて、【VUCA World】と言われるこの時代に、どんなカタチで生き残って行かれるのかなんて、何も分からない。

 

だからこそ、私は【好き】をきちんと味わって、【嫌い】から逃げないで、嫌いを楽しむぐらいの気持ちを持って、一日一日を刻み込んで生きて行こうって思う。

 

私にとっての生きるって、そんな感じ。

 

この記事の中に、ポルノグラフィティの曲の題名が幾つ入って居るでしょう~アハハ