「から」「ので」の使い方がややこしいという文句いっている生徒がいる。
同じく「原因・理由」をあらわすが、「から」のほうは「主観的」で、後項に話しての意志や、命令や、依頼や勧誘が見られている。
「ので」は対して「客観的」で、サービス業で説明する場合は、用いられるのである。
また、注意したほうがいいものが、「から」「ので」であらわす文は、中国語に翻訳すると、無標文になることである。
以上の解釈でいけるかなあ?
今日は健康診断があった。四字成語、いや熟語だが、健康を診断するとはどんな意味だろうか。健康かどうかを診断する、あるいはもっと簡潔に身体診断といったほうが分かりやすいと思うのだが。それで関連したことだけども、「身体検査」という言い方だ。
これは身体を検査するのではなく、所持品、服装などをチェックするものだ。日本語の目的語、対象語はあいまいだ。はっきりしないことで、その他の状況もいい含めるという利点もあるが、想像力がないと理解しにくいことがある。

今日の入学式で、学長から「勉強」と「学習」、そして、「研究」の違いについて興味深い話があった。「勉強」にはマイナスのイメージがある。しかし、研究はそのくらい厳しいものと考えれば、「学習」より日本語の「勉強」が合っているかもしれない。「研究」も中国語には煙草と酒を隠語に用いるように、日本語とはまた異なるイメージがある。

先生のお話では日本語の研究は好奇心、観察、そして記録だそうだ。それが研究のもとになるという。短すぎるゆえに見過ごしてしまうことも多いが、実は種子は巷にあふれている。それをどうやって見つけるのは、観察者の目にかかっている。
 
日本に来てから、いろいろ日本語の発見が続いている。やはり中国にいたときとは違って生の日本語ががんがん、響いてくる。自信をもっているはずの日本語も、頼りない気がしてくる。今日、指導教授からまた新しい発見を教わった。
理由・原因表現の「ので」は普通形、丁寧形につくのは初級学習者なら誰でも分かる。
 お金がないので、カップラーメンを食べている。
だが、丁寧形だとかなりフォーマルで使用頻度は低い。
 お金がありませんので、カップラーメンを食べています。
そこで、「ので」が「んで」になった場合である。
 お金がないんで、・・・
 お金がありませんで、・・・
普通形は問題ないが、丁寧形はオジサンぽく聞こえるというのだ。
 いますぐ行きますんで、待っていてください。
 私は着いたばかりですんで、よく分かりません。
これもオジサンぽく聞こえるという。そんなこと、文法教科書にも書いてないし、教わったこともない。つぎの「もので」が「もんで」になった場合も、
 お金がないもんで、カップラーメンを食べている。
外国人なもんで、よく分かりません。
はまだいいのだが、丁寧形にして
 お金がありませんもんで、・・・
 時間がありますもんで、お手伝いしたいです。
 外国人ですもんで、・・・
オジサンぽく聞こえるというのである。ああ、面倒くさい。