MAZDA vs『瀬戸内ドリームカーフェスタ2024』 | 損小神無恒の間違いだらけのMAZDA選び

損小神無恒の間違いだらけのMAZDA選び

巨匠、損小神無恒が走る白物家電を断罪する!

前々回紹介した元木和豊さん。

 

どういうわけか、縁あって『瀬戸内ドリームカーフェスタ2024』へご同行させていただくことになった。元木さんが所有する「T型フォード」の展示を手伝うためである。見渡す限りスーパー・カーの中にあって、百年前のフォードというのは、大いに向こうを張っている。およそ3リッターでわずか20馬力のサイドバルヴ・エンジンは、アヴェンタドールの37分の1。来場していた「SVJ」とくらべりゃ38分の1だから、ほとんど、おおむね、あらかた40分の1といって良かろう。それでも、T型フォードの存在感にはすごいものがある。なぜなら、T型フォードは百十二歳、人間でいえばギネス級のご長寿だからだ。さらに、此処には二台のT型フォード(もう一台は徳島工業短期大学が所有)が相まみえておる。これはまさしく自動車界におけるきんさんとぎんさんの饗宴であって、畏敬の念を抱かずにはいられない。

 

 

 

  T型フォード

なぜここで解説するかというと、フォードはかつてMAZDAと資本関係にあったからだ。かりそめにもフォードはMAZDAを救ったのであり、いまのMAZDAの躍進は、フォード流の合理性がMAZDAのどんぶり勘定を改革したことにある。なれば、フォードの起源を知っておいて損はない。

 

【創業者ヘンリー・フォードは中流の農家に生まれ、実家の畑仕事を手伝っていたのだが、まもなく嫌になってしまった。合理主義者のフォードにとって、当時の農業はあまりに効率が悪かった。たちまちフォードは農業よりも農機具に興味が行き、やがて機械が好きになった。そして、機械で農民を助けようと決心する。後々フォードはクルマの立ち位置を巡って出資者たちと大いに揉めるのだが、最初からフォードの眼差しは庶民に向いていたのだ。1908年、T型フォードが誕生する。部品の共通化、コンベア方式の導入などにより、850ドルの低価格を実現し、約1500万台が人々の手に渡った】

 

そういうところを考えると、フォードとMAZDAは結構似ている。「モデルベース開発」や「一括企画」、「混流生産」といった”理性のMAZDA”の土台を築き上げたのが他ならぬフォードだ。そして、ロータリーやスカイアクティブXなどの、ともすれば技術偏重になりがちな”本能のMAZDA”を御してきたのが理性のMAZDAなのであって、すなわちフォードなのだ。それではMAZDAを助けたフォードを助けたT型フォード。つまり、T型フォードも親類縁者である。私は親しみを込めて皆さんに解説させていただいた。

 

 

 

 

 

  タイタン

ドリームカーフェスタとあるが、来るのは殆どスーパー・カー。その中でどのクルマが一番か、投票を募っていた。われらがT型フォードはエントリーしていない。私は大いに迷った。クーンタッチ(編集部注:カウンタック)もありだが、アルファ・ロメオ・8Cも品があっていい。とはいえ私にイタリアは性に合わぬし、かといってGT-R(R34)にするのも折角のレストランでかつ丼を頼むようだし、大穴狙いでミゼットⅡというのもありだが、運営部の期待に沿えるものではないだろう。かくして私は投票を断念した。私はこの中からは選ばない。

私が選んだのは、キャリアカーのタイタンである。徳島と香川の県境『三頭峠』はひどく急峻なのだが、タイタンはT型フォードを載せてなお越え切った。エンジンはいすゞ製でも最後の自社製タイタン。T型フォードのおかげでタイタンは注目を浴び、いつになくご満悦であった。そして、どのスーパー・カーよりも格好良かった。