今自分が生きる場所…。
それは文字通りの「場所」の事ではなく。
誰と生きているかの「場所」。
在日朝鮮人の僕だけど、僕はほとんどの時間を日本人と作品を創り、作品を見せ合い、作品を語り合う場所を生きた。
18で朝鮮学校の空間を卒業して、今が44だから、在日朝鮮人との空間よりも日本人との空間の方が多く締めている。
年齢を重ねだしたのも、若さを抜け出ての事だから、人の「死」と出会う時には日本人の方が多い。
(できれば多く経験をしたくはないのだけど、もちろん)
けど、旅立つ人を送る始まりは自分の祖父や祖母なので、通夜や葬儀の雰囲気がインプットされたのは朝鮮人式だ。
それはいくら日本人の葬儀を経験しても、上書き保存はされない。
日本の人のお通夜や葬儀に参加した時、ぼんやりと「小津安二郎の世界だなぁ」といつも感じる。
ありきたりな表現だけど…侘び寂びの幹がひっそりと佇んでいるような。
そのような話をしても大体は「いや、地域によるよ。うちの田舎なんかはやかましいよ」と返される事が多いけど、でも演劇をやっているとほとんどの人は少年時代を過ごした「田舎」と呼ばれる場所から遠くへ来ていて、ひとつの空間で共存している。
いくら多くなったといっても日常的に経験をしているわけではないので、知ったかぶりになってしまうが…。
ただ、音量の問題ではなくて、やっぱり「小津安二郎の世界だな」。
その人の生きた家が何に囲まれているか、何を背負っているかでも変わるのだろうけど。
ひとつの人の美だ。
お通夜に行ってきた。
帰りは飲むだろうな、と思っていた。
知人たちが直帰に歩みだしたので「あらら、そうなのか」と思って自転車を漕いでいたら「まっすぐ帰るん?」と遠慮がちに尋ねられた。
飲まないのかと思っていたら「そんなことないやん」とみんなから照れ笑いされたので、近くのお店に入る。
一時代を駆け抜けた人と、一緒に歩んだ人の話を笑いながら聴く。
「一」を始めた人は始めた後を見れなくても知れなくても「百」に散りばめられている。
もちろんその「一」を始めた人も、誰かが始めた「一」が散りばめられたひとつだ。
喪主の方が「時折思い出してあげてください」とご挨拶されていたけど、故人が始めた「一」は多くの演劇の土台となっている。
そしてその演劇は今日も何処かで活発に動いて誰かの芽を育てている。
人は「生きる」という身体を終えた後に、初めて本当に「生きる」のだ。
奈良の空は今日も雲ひとつない。
奈良に生きる人は奈良の空に神様が舞っていて、雲の姿で彩るのを知っている。
ついつい見惚れてしまう姿で。
去る人はついつい見惚れて昇るのを忘れないように、真っ直ぐ昇れる空の日を選んだのかも知れない。
僕がいつか去る時は。
寄り道しちゃう空の日を選ぼう。