演じる。書く。 | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

もう20年くらいを毎日のように脚本を書いてきたのだけど、最近生活圏にない物語を書いていて感じた。
何かを書くという事は役者として舞台で、あるいはカメラの前で演じるのと似てる
似てるから劇団で役者と脚本を兼任できてるのかも知れない。
そういえば先日アリョンも「女優にもなりたいけど、小説家にもなりたい」と言った。


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生まれつき僕はいくつもの事を並行してできる器用さは皆無なんだから。
知らない町、知らない土地、知らない音、知らない色、知らない風、知らない匂い。
人間は世界の70億になんてなれない。そんなに長い時間を生きれない。
けど、文化を生きる人間は70億を目指す。
いや、生きなかった時代、生きる事のない時代、生きる事のできない次元も表わそうとする。
欲張りだ。
健康と生活には無関心でも、追求には欲を張る。


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たった一つの単語からでも一人の想いと哲学と生き様を探りだして演じるように、全てを見る事はできないけどふと見た光景から、その場所に生きる息吹を書き記す行為は似ている。 


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「生きなかった」場所と時間を「生きた」ように書くのではない。
「生きなかった」場所と時間を今も「生きてる」ように書く。


そんな作品は次の時代をまたぐ。