「ボクサー」という作品を紹介いたします。
今年公演34回目となった、Mayの25回目の作品です。
大阪のシアトリカル應典院で2009年に上演しました。
執筆前から、途中休憩を入れて三時間の作品にすると決めて製作されました。
僕のアボジ(父)の幼少期から現在までの激動を描いた作品です。
京都芸術短期大学(現:造形大学)在学中から演劇を始めて、子供の頃から聞き続けてきた親父と伯父の人生を、いつか作品にしたいなぁ、と頭の中で育んでました。
それが91年ですから、18年近く後に一つの形として産まれた事になります。
自分の演劇人生の、間違いなく一段階の区切りとなった作品でした。
そりゃそうですね。自分のルーツを描くというのは簡単な事ではない、とコテンパンに痛感しました。
身内内情ではありますが、やはり描くべきではない、或いは描かれたくない、そんな場面もあったはずです。
僕も描いたものの、内心しんどい事実もありました(笑)
アボジが生まれたのが1939年ですから、そこから現在に至るまでというのは、まさに在日朝鮮人が歩いた歴史そのものでした。
この2009年は航路-ハンロ-を結成した年で、つまり故郷への渡航不許可を韓国政府からのし紙付けて突きつけられた年でもあり、「ボクサー」の時代背景も、製作過程も、僕の一年も、何もかもが激動だったのを記憶しています。
メジャーな作品など創れないので、評価に過敏にならない僕ですが、この作品は終演ごとに評価が怖かったです。
1人の男の人生なので、もしコテンパンに批判されるなら、それは70年の激動を歩いた男の人生が批判されるようで…そして僕の全てのルーツを否定されるようで…そんな怖さがありました。
全ての回で鳴り止まなかった拍手は此処に場所を与えられたようでもありました。
子供の頃から耳にタコができるほどに聞かされた伯父は、僕や兄弟達には、まだ会ってもないのにヒーローでした。
そして出会った時にアボジの涙を見てアボジにとっても大きなヒーローだった事を知りました。
だからこそ伯父の苦労も孤独も死も、アボジの悲しみも、僕たち兄弟には拭えない痛みが刻まれています。
伯父を演じてくださった木下聖浩さんに、姉が劇団の掲示板に「もう二度と会えないと思っていた伯父に、もう一度会わせてくれてありがとう」
と書いてあったのを見た時、人生に流れる時間と、人間が創る作品の時間とはこうやって共存するのだなと感じました。
終演後に荷物の荷下ろしを一緒にしていた人から「キムくん…急に老けたなぁ!」と言われました。
うん。
やっぱり僕の何かの一区切りだったんですね(笑)
作品DVDは劇団のホームページから御購頂けます。
Mayホームページ
http://may1993.syncl.jp/index.php?p=custom&id=10204101