せっかくだから備忘も兼ねて書いとこうと思いますニコニコ
まずは妊娠中の経過について。

◆妊娠中の私の病気&薬
第一子:病気にかかったことはなし。飲んだ薬は鉄剤と便秘薬くらい?
第二子:第一子が保育園で風邪引き、その度私もうつって春から夏くらいまでずーっと咳止め鼻水止めの薬。そもそも妊娠前から甲状腺機能低下症でその薬(数値問題なかったから勝手に途中止めてたけどぶー)。その他、膀胱炎、とどめに秋口にインフルにもかかり、妊娠期間中ほぼ薬漬け昇天

◆お腹の大きさ、痛み
第一子:妊娠5ヶ月くらいまでお腹ぺったんこで、会社にタイトスカートとか履いてって先輩にびっくりされた記憶(笑)
その後も最後までどこか痛いとか、重くて辛いとか感じた記憶あんまり無し。
健診では子どもは標準よりもやや大きめとは言われてたけど、特に何か指摘されることはなし。
第二子:妊娠4ヶ月頃からお腹大きくなり始め、マタニティのベルトないとズボン履けなくなったり、家族にもお腹出てきたねと言われたり、写真で見てもお腹出てるのわかるようになったりしてた…。
後期にはパンッパンで、子宮破裂と破水に恐れおののく日々…ガーン
お腹の張りも、下腹部の痛み(帝王切開の傷なのか、膀胱が圧迫されて痛いのか…)も早い段階から始まり、歩くの辛い日も多々…。
お腹も重くて、後半は家の中四つん這いで移動しながら上の子のお世話したり、外では自分でお腹持って歩いたりしてた(笑)
寝るときは仰向けが特に苦しくて、寝返りもやっと、って感じ。
実際お腹の子も大きすぎて、健診で頭か胴まわりが実際の週数+6週相当になっちゃったこともあり、ギリギリで成育に精密検査に行かされる。

◆体重指導
第一子:何回か太り過ぎを指摘されてた(笑)
第二子:1度も指摘されず…子は圧倒的に第一子よりでかいのに、私の体重自体は第一子のときとほぼ変わらずだった。

◆便秘
第一子:もともと便秘で、第一子のときはいつも通りずっとひどくて、ほぼずっと酸化マグ飲み、さらにもう一段強力な液体の下剤も出してもらってた(←それは効きすぎて1回使ってやめたけど笑い泣き)
第二子:私にしてはわりと便通いい時期が多くて、妊娠期間通して酸化マグ2回くらい?処方してもらっただけで済んだという奇跡。3日に1回くらいは出てること多かったかも。(3日に1回は私の中ではかなりの快便www)
ただ、便が固いことはかなり多くて1回イボ●っぽくなった(治ったから良かったけど笑)

◆貧血
第一子:引っかかって鉄剤結構飲んでて便が黒かった(笑)
第二子:1度も引っかからず。

◆妊娠糖尿病
第一子:引っかかって再検査→OK
第二子:引っかからず。

◆むくみ
第一子:後期めちゃひどくて象の足状態。お風呂でシャワーのお湯当たるのですら痛いレベルだった。
第二子:後期はさすがにむくんできたけど、そこまでひどくはなく。子象レベル(笑)

◆足のつり
第二子、めっちゃ早くつり始めたなって思ってたけど、記録見たら第一子のときもなかなか早めにつり始めてた(笑)
ただ、第二子のときは最後の1ヶ月半くらい鍼灸院に通い出だして、そのおかげか最後の方で悶絶級のつりは感じた記憶がないかもキョロキョロ


…こんな感じでしょうか?

総じてどちらの妊娠期間のほうが辛かったかと言うと、圧倒的に第二子です笑
(マイナートラブルは少なかった気がするけど)

育休中かつ上の子は保育園にも行ってくれてたとはいえ、夜は毎日上の子のお世話があるし、上の子のときより私もさらに年取ってるし、ダイエットも運動もろくにしないまま妊娠したから体力がとにかく落ちててきつかった笑い泣き

こうして振り返るとほぼ共通点がない2人の妊娠期間でしたが、唯一の、そして最高の共通点があります。

それは…


2人共、全くつわりがなかったことキラキラ


味覚の変化とか、食べたくなくなったものとかもほぼなかったです。
なので、食べることに関しては最後まで家族や友達とあちこちおいしいものを食べに行き尽くせて、なんの我慢もしませんでしたキラキラ

お腹にいるときから早速親孝行な子どもたちでした。ありがとうチュー



この度、12/28に第二子となる男の子が産まれました!!


私自身が一人目のときよりさらに高齢なことや、出産直前で精密検査に行かされたこともあり、無事に産まれてくれるか今回は本当に不安だらけでしたが、産声からめちゃめちゃ元気で、とーーっても可愛い男の子が出てきてくれて安心しましたえーんキラキラ


今は、妊娠中辛かったむくみのない幸せ、横になっても苦しくない、そして胃の内容物とかゲップが込み上げてこない幸せを噛み締めながら入院生活を送っています(笑)


今日まで痛み止めの麻酔が効いてるから、明日からは少し辛いかもですが…がんばります炎


38週0日での計画帝王切開にもかかわらず
3500g超えの巨大児でしたニコニコ




だいぶ間が空いてしまいましたが、早いもので母が亡くなったクリスマスイブからもうすぐ1年が経とうとしています。


とにかく四十九日までは、毎日母のことを考えてよく泣いて、辛かったなぁという記憶。


でも四十九日が1つの区切りになった気がします。


四十九日までは亡くなった人の魂は家族のもとにいて家族を見守っているけど、四十九日を過ぎると天に帰っていく、みたいなことを聞きましたが、まさに気持ち的にもそんな感じで、すっと一段落落ち着いた感じがしました。


それからは実家の仕事が問題山積みすぎて、さらになんも分かってなくて気も遣えない父にイライラしすぎて、半分病みそうになるくらいやばい時期もあり、悲しむというよりは、
「もーお母さんのバカ!!なんでこんなじじぃと離婚しなかったんだ!!」
「お母さん、ほんとすごいな。よくやってたなこんなこと。」
みたいな気持ちばっかりであっという間に1年が過ぎてしまいました。笑


そして今日は、ちょうど1年前に母が東京にやってきた日。


1年前の今日は親戚の家に泊まってて、
1年前の明日は我が家にお昼ごはん買ってきてくれて、娘とのんびりすごしたな。


そんなことを思い出しながら、
実は昨日は出産前最後の友達とのランチで、元気をもらいつつも「第二子、ちゃんと産まれてくれるかな…」って不安になる会話があったり、別の友達の辛いニュースを旦那から聞いてショックを受けたりとかで結構落ちてしまって…


こういうとき、底抜けに元気で明るくて根拠もない(笑)「大丈夫!!」を言ってくれる母に会いたいよ〜なんでいないの〜〜おかーさーんえーんと、久々に涙が止まらない夜でした…


やっぱり四十九日とか初盆とかとはまた一周忌って違いますね…
母とのこれまでの思い出とかよりも「あの日」のことが思い出されてしまうので…悲しい


毎年複雑な気持ちになるんだろうけど、これがご供養だと思って。ずっと忘れないようにしたいです。


先日、笑福亭笑瓶さんが亡くなった際、山田邦子さんが、


「お葬式で初めて待っててねって思いました。」


ってコメントをされてて、ものすごく共感しました。


今まで、身近な人(祖父母とか、会社の人とか…)が亡くなると、

死ってこわいな…
私はどんな死に方するんだろう
この人はどんな思いで亡くなったんだろう
痛かったかな、怖かったかな

みたいな、死っていう事象に対する恐怖みたいな気持ちばかり込み上げてきてたけど、


母が亡くなったときはなんというか、
あぁ、お母さんはきっとひろ〜〜〜いお空の上に行って、みんなを見守りながら安らかにゆっくり過ごしてるんだろうな。
お母さんがいるところなら、私もいくの怖くないかも。
いつかはいくから待っててね、また会おうね、って、本当にそんな気持ちになったんです。


※別に変な気起こすとかではないです(笑)


山田邦子さんが言葉にしてくれて、あー、ほんとそれ〜。って思いました。勝手に、感謝してます。ありがとうございました(笑)


ちなみに、笑福亭笑瓶さんと母は同じ大動脈解離で亡くなったので、よくニュースみてたのでした…



今回実家に帰省していた間に、実家の自営の店のほうに、昔従業員として働いていた方が母の件で挨拶に来てくださいました。


私がすごく小さいときに働いていらっしゃった方のようで、失礼ながら私は名前を聞いてもピンとこなかったのですが、向こうは私のことを覚えていてくれて、大きくなったねぇ~といってくださいました。


すごく品のいいおばあさん、という感じでした。


その方も数年前にご主人を亡くされたそうで、それからしばらくは、街で仲良さそうに歩いている夫婦や一緒に食事をしている夫婦などをみると本当にうらやましくてね…という話をされていて、すごく気持ちが分かって切なくなりました。


私も、今年は楽しくお正月を過ごせている世界中の家族がうらやましかった。


みんなが楽しそうな年末年始を過ごしてる様子や、去年の振り返り、今年の抱負、みたいなのを書いてるのを見るのもきつくて、SNSも開けなかった。


友達でも知り合いでもない芸能人やアナウンサーがテレビで、「みなさんにとって2022年はどんな年でしたか〜?」「あけましておめでとうございま〜す!」「今年も明るく元気にいきましょう〜!」みたいに言っているのすら、辛すぎて。


大失恋しても、受験に落ちてもこんな気持ちになったことなかったな(笑)


そうやっておめでたい雰囲気を避けていたせいか、こんなに年が明けた実感のないお正月も初めてでした。


「喪中だから新年を祝ってはいけない」なんて言われなくても、全然おめでたい気持ちになれなかったし…。


家族を亡くすってこんな気持ちなんだな。
本当に、初めて味わう感情ばかり。


そして、こればっかりは体験した人同士じゃないとわかり合えないことなんだなぁと実感しました。


人事系の仕事をしてたのもあって、社員から親を亡くしたという報告を受けることは多々あったけど、そのときはこんな気持ちになることまで想像ができなくて、今さらその方たちの気持ちに寄り添えなくて申し訳なかったな、こんな言葉をかけてあげたらよかったな、ということばかり浮かんできます。


悲しい、辛いとかの一言では表せない、なんとも言えない喪失感。


説明しろと言われてもうまくできないんだけど、
(もちろんみんな健在で仲がいい家族は本当に羨ましいけど)うちはすごく不幸だとか、お先真っ暗という気持ちなわけでは決してない。


母と過ごした30数年間は本当に宝物で、思い出もいっぱいあって、特に娘が産まれてからのこの1年弱はその中でもダントツに幸せで、楽しかったから。
娘ができたことを、母に喜んでもらうことができてすごくすごく嬉しかったから。


でもやっぱり、もっとこの幸せな時間が続いてほしかったっていう気持ちで、心にぽっかり穴があいたような呆然とした気持ちもある。


でもでもでも、、なんかまだ本当に亡くなったって実感がなくて、ちょっと長めの、連絡がつかないところに旅にでているだけなような気もしてしまう。。


本当になんて表現したらいいかわからない。。


これからこの気持ちがどう変わっていくのかわからないけど、でもたぶん、生きている限り母への思いは消えないんだろうなぁという気はしてる。


時間がすごくたくさん経てば、少しは悲しみも和らぐと信じて、今はふんばるしかない…。


来年の年明けは、楽しく迎えられるといいなぁ。


さすがに一周忌だからむりか(笑)


ゆっくり、ゆっくりがんばろう。



母が亡くなってから、夜はろくに眠れないか、はたまたその反動で泥のように眠るかのどちらかで、あまり『眠りが浅い』という日がなく、そのせいかしばらく夢を見てませんでした。



ここのところようやくちょこちょこ夢を見るようになりましたが、昨晩、母が亡くなって初めて、母が夢に出てきました。



家族4人でどこかに出かけているところで、歩きながら、母が

『〇〇(弟)は小さいときほんとにこんなこんなで手がかかってね〜』

『も~ほんっとに大変だったのよ〜』

って話を何度も何度も笑いながらしてて。



母は冗談ぽく明るく話してても、短気で、キレポイントのよくわからない弟は、普段だったら

『もういいよ』『うっせーなー』

とかいいそうなもんだったけど、なんにも言わずに黙ってそれを聞いていた。



それに対して私が

『ママが生きててくれるなら、こんな話も文句言わずにあんたも聞いていられるね』

って弟に言ったところで目が覚めた。



本当に、こんな感じで5分でも1分でもいいから母に戻ってきて、なんでもいいから思ってたこといろいろ話して欲しいな…と思った朝でした。






『出会いは人生を豊かにし

 別れは人生を深くする』


という言葉に出会いました。


本当にその通りで、


2022年、私は娘という存在に出会うことができて、人生が豊かになったのを毎日毎日実感していました。


結婚生活は、
二人でいると『楽しい』
家族が増えて『心強い』
『ときには我慢も必要』
みたいな言葉がぴたっとくるけど、


子育ては単に『楽しい』とか『大変』とかでは表せない、そうだ、『人生を豊かにしてくれる』っていうのが一番しっくりくるな。ってここのところ思ってた。


大変なことももちろんたくさんあるけど、それよりも、
なじみのある場所が娘と行くといつもより楽しく思えたり、
おいしいものを食べたら娘にも食べさせてあげたい、
素敵な景色を見せてあげたい、
この人に会わせてあげたい、
みたいに、
誰かのためにこんなに何かをしてあげたいと思い、誰かにこんなに幸せに生きていって欲しいと願い、それが生活の大半を占めることって、なんて豊かで幸せなことなんだろうって思いました。


そして、年の最後に母を亡くしたことで、
母がかけてくれた言葉や愛情を思い起こし、残していったもの一つ一つと向き合いながら、
母がどんな思いでここまで生きてきたのか、
どんな思いで私達姉弟を育ててくれたのか、
天国ではどうしているかな、
どんなこと考えてるかな…
というようなことに思いを巡らせることで、今まで以上に母へ深く感謝し、自分のこれまで、これからの生き方についても改めて考え直すことができました。
これが人生に深みが増す、ということなのかなぁ。


出会いは、出会った時点ではその人との思い出は0だけど、その分これからどんどん時間を共にして楽しいことや辛いことをたくさん積み重ねていくワクワク感がある。
その積み重ねのことを、人生が豊かになるって言うのかもしれない。


別れは、もうその人との時間や思い出がプラスになっていくことはないけれど、その人と過ごして積み重ねてきた時間をじっくり思い返して、その別れをどう今後に生かしていこうかということを考える。同じ辛さを味わった人の気持ちがわかってあげられるようになる。
そういうのが、人生に、人間に深みが増す、ということなのかもしれない。


人生最大と言っていいほどの出会いと別れを経験した2022年。


豊かさと深みが増すように、前を向いて生きていかなくてはと思います。


昨年のクリスマスイブ。


母が急死しました。


本当に突然のことで、家族みんな何がなんだかわからないままあれよあれよとお葬式を終え、初七日を終え、年が明けた実感もなく今に至っています。


毎日毎日、悲しくて立っているのもままならないような気もすれば、はたまた全然実感がなく、そのうちふらっと母が戻ってくるような気がしたり、とてもふわふわしたきもちです。


2022年は、私達夫婦にとって結婚10周年という節目の年であり、
なによりようやく母に孫の顔を見せることができて、
里帰りしていた3ヶ月間は、母と過ごした30数年の中でもダントツで濃密で充実した、幸せな時間でした。


2022年は、忘れられない素晴らしい1年になった


そう思っていた2022年最後の週末の出来事でした。


心の整理をする意味でも、少しずつここにいろんなことを残せていけたらなと思います。



12月中旬に里帰りして早3ヶ月。



先日3/20に、ついに東京へ戻ってきました飛行機キラキラ



荷物もいっぱいだし、初めての子連れ飛行機が怖すぎだったので、母にもついてきてもらいました。



でも、飛行機はなんの問題もなくぐーすか寝ててくれて一安心照れ



家のほうはというと、旦那が先週無事新居に引っ越し作業してくれたのはよかったけど、その翌朝、急遽海外へ出張行くことになってしまい…



きっと家はぐっちゃぐちゃだろうなぁ…と思って帰りましたが、なんとこれも、食器類以外はほぼ全部ダンボール開け終わっていて、最低限の生活には全く困らない状態になっていました!



引っ越し手伝ってくれて、出張中の旦那の代わりに20日に私と母を迎えてくれた義理の母、妹にも本当に感謝です照れ



そしてその後3日間東京にいてくれた母がついに、先程地元に帰っていきました。



この3ヶ月、たくさん喧嘩もして、早く東京戻りたい戻りたいって思ってたけど、いなくなってこうして1人取り残されると本当にありがたさが身にしみて、寂しさもこみ上げてきて、涙が…タラー



あれこれ口出されるのとか嫌だったけど、めちゃめちゃまめのこと可愛がってくれて、体きつくても夜中もお世話ずっと手伝ってくれて、私のご飯も毎日欠かさず作ってくれて、まめが寝てるときは、食べすぎだよー!!とか言いつつ無限にお菓子食べながらいろんな話して。



こんなにゆっくり母と一緒に過ごして、いろんな話したことなかったから、そんな時間をくれたまめにも改めて感謝です。



親子って、家族ってやっぱり素敵だなと思ったし、まめにもそんなふうに思ってもらえる家族になっていけたらいいなと思いました。



さて、とりあえず旦那が帰国するまであと少し。2ヶ月ぶりの再会。



そして明日からは日中1人でまめのお世話な生活が始まる…!



ここからがほんとの子育てスタートな感じアセアセ



不安もたくさんあるけど、楽しく過ごそうね、まめニヤリラブラブ



生後5日目から更新滞ってましたが、母子ともに元気に生後7日目に退院し、もうすぐ1ヶ月を迎えようとしていますキラキラ


やっぱり、なかなかゆっくりブログ更新する時間がとれませんアセアセ


お世話で忙しくて自分の時間がないというよりは、


まめがだいたい3時間おきに起きる(泣く)
下矢印
おっぱいとミルクとオムツ替えと哺乳瓶消毒であっという間に1時間くらい過ぎちゃう
下矢印
残り2時間


この2時間でやりたいことが多すぎる、という感じ。


まず第一には、まだ自分の体が本調子じゃないし、常に寝不足なので寝たい。
それに当然、お風呂も入りたいしご飯も食べたい。
(授乳してるとお腹の空き方がはんぱない)


さらに、出産後の1ヶ月って会社や役所への手続きがたくさんアセアセ
(ついでに確定申告も今年は特に面倒…)


それに加えて、うちは3月に引っ越しも控えていてその準備や手続きもあり、時間が空いたら友達や会社の人に出産報告もしたいし、いろんな無料プレゼントの応募とかも逃したくないし(笑)、次々いただくお祝いのお返しや、日々のベビー用品の発注もしないといけないし…


そんな中でまめがちょっとぐずって抱っこしてなきゃいけなかったりすると、もう何もできない絶望


かといって、ぐずってないときはないときで、ちょっとした動きや寝顔が可愛いすぎてずーっと眺めたり動画撮ったりしちゃって、いつの間にか時間がすぎていく(笑)


そんな状態です(笑)


それでも、バタバタの中なんとか楽しく充実した日々を送れているのは、周りに子育ての先輩方がたくさんいて、いろんなことを教えてくれてたおかげ。


《以下、先人たちの教え(笑)》

・ちっちゃくてふにゃふにゃで可愛くてたまらない新生児期は本当に一瞬。全力で楽しむべし。
→眠くてもきつくても、なるべくたくさん写真や動画を撮ったり、たくさん話しかけたり触ったりして新生児満喫してます。生後約2週間でニューボーンフォトも撮ったラブラブ

・赤ちゃんは泣くもの。
お腹すいたとか暑い寒い痒いとか、なにか教えてくれてる、おしゃべりしてくれてると思えば良し。
ママ嫌いとか違うとか言ってるわけじゃないから気にしない。
→産む前は、泣きまくられたらイライラしたり、うんざりするのでは…って思ってたけど、泣いてても全然可愛いって思える照れ

・泣いたからって慌てて抱っこしなくても、ちょっとぐらいほっといて大丈夫。死にゃあせん。笑
→同上(笑)

・退院したらお世話は嫌でも死ぬほどするから、入院中はなるべく寝て、看護師さんに甘えるべし。
→おかげさまで、夜は預かってもらったりして入院中ゆっくりできたし、母子ともに問題なく予定通りに退院できた!たしかにこれ聞いてなかったら、妙な使命感で入院中もお世話がんばっちゃってたかも。

・その他、先輩方の経験を参考に、やってよかったと思うこと
・産まれる前に、まめに手紙を書けた(産後も、今後も毎年続けたいおねがい
・マタニティフォトも悩んでたけど、撮ってよかったカメラ


あとは、産後うつも結構なったって友達多くてびくびくしてましたが…


事前に聞いてて心の準備ができてたおかげか年の功か(笑)、これも大丈夫でした。


この年まで思う存分働いて、仕事ももうお腹いっぱいだし、旦那と2人でYou Tubeみてゲームして過ごす不毛な休日ももうじゅうぶんなので(笑)、今、子育て辛い〜とか、自分の時間がない〜とか思うことが特にないおかげかな笑い泣き


精神的なものだけでなく体調も、ママの術後の経過がよくなかったり、子供に黄疸でたりで入院延びたとか、悪露や後陣痛がきついなどの先輩談を聞いていたけど、そういったことも全然なく。


ほんとにありがたい限りです。


ただ、そんな中でもぶち当たった壁がここまでに2回。


①授乳
→入院中、ソフト保護器での授乳がうまくできなくて、できない自分が情けなくて、悔しくて泣いた(笑)
→そして今もできずにもう諦めてる(笑)

②抱っこ
→まめがばぁばの抱っこだとすぐ泣き止むのに、私の抱っこだとギャン泣きするのがショックで、うまく抱っこができない自分が情けなくて、悔しくて泣いた(笑)
→わりとあるあるらしいので、これも潔く諦めて、もう泣き止まないときはすすんでばぁばにお願いするようにしてます笑い泣き


赤ちゃんに対してのイライラというより、自分に対してのイライラばかりにっこり


大人になってから、教えてもらったことがうまくできない経験なんてなかなかないからな。
↑というかただの負けず嫌い(笑)


またこれからもたくさん壁にぶち当たると思いますが、1ヶ月たてばおでかけできるようになるし、1年経てば歩いたり、喋ったりするようにもなるし…


今からウキウキが止まらないラブラブラブ


ということで、これからも楽しみながら育児がんばります!グー