↑山梨で買った、年女記念の湯呑み。『みざる』がうちのじいちゃんにそっくりで、迷うことなく衝動買い。

電子レンジってすばらしい。

「ああ、野菜、野菜が食べたい…」
そう思ったらば、冷蔵庫の野菜だのがんもどきだのをざくざく切って器に入れてさ、めんつゆと水注いで、はいレンジでチン。あっつ熱の煮物のできあがりです。

夜中の2時にこたつで意識を取り戻し、腹が減って眠らないからって煮物作ってたべて、腹も心も満足して、でも結局こたつで夢みて朝を迎えるってどうなの? 家にいる間、ほとんど定位置(こたつ、西側)から動かないって、24の女子として正しい姿なのか?

本能のままというと聞こえはいいけど、寝て起きてみて、はっと我に返ったらさ、昨夜の自分の行動にはなんだかうすら寒いものがあった。

しばらく会っていない、遠くに住まうみなさん。
わたしはあいかわらずこんなだけども、前出のもとぎさんのブログの企画「池内100人村」で、いま現在のわたしの写真を載っけていただきました。先月実家で撮ったやつ。
PCでご覧なら、とんでみてね。携帯のひとは、おんなじの送るからメールください。

掲示板に書き込みしてくれたカメさんも、池内村の先輩です。もとぎさんにもかっこよすぎとほめられてるおにいさん。すてきな詩を紹介してくださいました。どうもありがとう。

わたしはもともとネットでの交流にさほど熱心ではない。そのひ帳をネットでみてもらえるようになってからも、ブログに切り替えてからも、自分から動こうとしたことはほとんどなかった。遠くの友人や旅人さんに近況を知ってもらえれば、それでいいと思ってたから。

でもさ、せまいせまいと思い込んでた自分の輪っかがこんなに広がるんだって、まるでゴムみたいにびよーん・びよよーんって伸び縮みするんだっていうのを、今回のもとぎさんの企画であらためて知ることができた。

会ったことのない名前も知らないひとと、おなじ本を通しておんなじ景色を見たことがある、ただそれだけで”共感”することもできる。どれだけ近くにいたってそれが叶わないひともいて、自分のひとりよがりだったことが後々判明して、がっかりすることだってある。

ネットって、距離や時間その他、幾重もの垣根をとび越えて、みしらぬ誰かと直接つながることができる道具なんだね。その大海原を自分やほかのひとにとっていかに有意義に泳ぎこなせるかどうかは、本人次第。

気持ちよく、ここちよく
泳ぎましょう
たゆたいましょう

杜海掲示板
↑きのう、引っ越し先を物色&探険(知らないマンションのエレベーターで勝手に最上階に上がってみた)してたら、虹と遭遇した

「にじのかけら」をたべて若返った、帽子屋さんが出てくるおはなしがある。そのにじのかけらはね、ライラックの花のにおいがするんだって。「あまくて、さっくりしていて、まるでむかしのおもいでをたべているようなかんじ」だと。

地上7階からこの虹をみて、わたしがだれかとごはんやおやつをいただきながら、のほほんと話すのがすきなのは、ひとくちごとにそのひととの記憶が身体のなかに染み込む気がするからなんだなあって、思った。ほら、わたしの耳と鼻、獣並みだから。

もとぎさんのブログで紹介されていた「晴海22歳の闘病日記~死ぬまで生きる」を毎日みている。

元消防士だった晴海さんておにいさんの日記だ。

消防士さんの平均寿命は一般のわたしたちよりも、ずと短いんだって。そしてその削り分けてきた命の分、救助してきただれかが生きてくれれば幸せかもしれない、そう綴ってあった。

かつてうんと大事だったひとが亡くなって、どうしようもない無力感に動きたくなくなったことがある。あんまり突然のことで、でもなにかできたんじゃないか、気づく事だってできたんじゃないかって、考え出したらきりがないんだ。

何年かたってわたしの髪の毛も伸び、持病の腰痛も完治して実家を出、なめくじが徘徊する貸家に住んで、遠すぎて気軽に会いに行けないけどいつも心にとめてるひとたちもいて。
わたしは毎日まゆの形を整えて、おしろいをはたいて仕事に行ってる。

にじのかけらをひとさじたべて、いまよりちょっと若返ったとしても、わたしはきっとおんなじようにここに辿り着くだろう。会いたいとわたしが望んだから、いろんなひとと出会うことができたんだろう。
どんなひとたちとも。どんなできごととも。

晴海さんの土曜日のブログはこうしめくくってあった。(以下、引用)

 でもたぶん、僕は分けられるだけの命をもう
 全部分けてしまっているのでしょう、
 そう思うと納得がいきました。
 ぼくが分け与えた命が充分に長いものであるよう
 願わずにいられません。

わたしはだれかに命を分け与えることはできないけれど、せめて身近にいてくれてるひとたちへ、「もりみ印」を残していきたい。このそのひ帳で紡いだ言の葉や、肉が登場しない食卓で。わたしのすきな色を切り取った写真で。

ただ垂れ流すのではなく、いつか誰かに届くのだと、いつもいっつも心にとめておきながら、毎日を見送ろう。そして明日を出迎えよう。

杜海掲示板
↑葉子んちに行ったら、ふたりとも全身しましまだった(偶然) まるでどっかの囚人みたいだった。

昨日はとってもめずらしく、休日の仙台駅にいた。わたしはここ数年、平日の人手しか知らなかったから、ちょっとだけ人酔いする。

ドンクのスコーン(くるみとチョコチップがある)を買って、葉子んちへ向かう。そこに透子が電話をくれた。それはとってもうれしい報告を伝えるためのコールだった。

東京と仙台とで、うんとうんと遠いのにだれかの「うれしい」を共有できるんなんて、携帯電話って便利だなあと思った。

でもわたしは最近「家電なかま」を増やしたくてしょうがない。根が貧乏性だから、携帯電話の通話料の高さに我慢ならないんだ。実家と自宅はIPフォン同士で通話料無料だから、いつもお得気分に満たされる。その喜びは、携帯同士にはけしてありえないものだ。

夜、葉子んちの近所の古本屋にゆく。
古本屋で自分の欲しかった本が見つけたときってさ、たくさんの知らない人の波の中で、この先ずっーとなかよくしたいと思える子と出会えたのとおんなじ気持ちになる。ここにてくれてありがとなーって思うんだわさ。

泊まるつもりはなかったけれど、結局こたつでごろごろしているうちに朝を迎え、しかも知らず知らずのうちに葉子がふとんに転がしてくれたらしく、ぐっすり眠ることができ、すこぶる快調に目覚めた。

職場の上司に言われたことだけど、ちゃんとふとんで寝ないと便通に支障をきたすらしい。腸の動きが鈍くなるんだってさ。わたしはおおよそ10日ちかくこたつで寝起きしてしまってる。便秘にはならなかったけれども、快便にはほど遠いお通じ生活にそろそろ嫌気がさしていたところだった。

それが! 朝食にふかしいもを食べた後に得た、すばらしい爽快感! 脱・こたつの効用か? やはりよい睡眠は、よいボン(初恋の人のお母さんが、便をこう呼んでいた)を招くのだ。

これまでボンの話題をそのひ帳で書かなかったのだけれど、わたしはもともとボンばなしがだいすきだ。知るひとぞ知る「杜美」を形成する上での重要なファクターだと思う。そのむかし、漫画家のはた万次郎さんが言ってた「うんこの話をできないひととは友達になれない」は名言だ思ってるくらいだし。

毎週たのしみにしてる室井佑月さんのブログでさ、いつ見にいってもうんこ話に大輪の花がぼんぼん咲きまくってるので、トラックバックさせていただこうと思ったんだ。「おかえり、いいボン」記念に。

外は風が強い。ひざしも強い。友人・蜜子ちゃんからのメールによると大宮なんか25度あるんだそうだ。いま何月だ? 師走だよ、師走。

杜海掲示板へ
↑
笹川美和さんのインストアライブのあと、エビカツバーガーをたべた。
 
 
今朝、ものすんごーくいい夢をみた。年に3,4度あるかないかってくらいの、いい後味だったな。

目がさめたあとの甘い疼痛としんみりした名残惜しさが、うまい割合でまぜこぜになった気持ちよさでさ、今日いちんち思い出しながらうきうきしておった。

夢の中のわたしは、どうやらずっと会いたくてしょうがなかった男のひとと、やっとこ会えたらしい。

わたしは何人かの仲間とどっかで共同生活を送っていて、そこへそのお兄ちゃんがやってきて、感動の再会にいたったようだ。仲間たちは気をきかせてよその部屋にひっこみ、わたしたちはじっくり話しこんだ。目の前にそのひとがいることが、夢の中のわたしはとってもうれしそうだった。

顔はおぼろげにしかおぼえていないけど、現実世界でわたしは彼に会ったことはない。まったく知らないあんちゃんだというのに、すんげー懐かしかった。「夢をみて」眠ってるわたしは、そのあんちゃんと夢のなかの自分を眺めながら、ぽわっとあったかい気持ちになっていた。

実際はまたもこたつで寝て起きて、しかも汗だくになって目がさめたのだけれど。


さっき仙台駅前のロフトのHMVで、笹川美和さんのミニライブがあった。「わーらいわらーえー、なきーわらーえー」のうたのひとだ。←というとみんな「ああ、あの」という。

ピアノの弾き語りと、さとうさんというひとのギターのみの、ごくごくシンプルな30分間のステージだった。いつもはたいていセットリストを書き留めてるのに、今日はすっかり忘れてしまったけれど、たぶん6曲演奏されたんじゃないかな。

そのギターとピアノと、笹川さんの喉というたったみっつの楽器から生み出された世界は、とても居心地がよかった。緑が深い神社みたいな、澄んだ空気の層がそこらへんを覆っている気がするほどに、ずっとそこにいて声と音を浴びていたかったよ。

あんな風に、生声だけであれだけ空気に色を差させる人もいないんじゃないかと思う。あんなだから、みっつの音で十分なんだろうなあ。余分な音で濁さずに、まっすぐ響いてくるんだろうな。

1曲歌い終わったごとに客席の左右に向かって軽く礼をする仕草に、人柄が出ていた気がする。

去年わたしが山梨にいたころ、とりこが笹川さんのアルバムを贈ってくれて、わたしはこのひとの音楽に触れることができた。しばらくエンドレスでかかってたなあ。

本でも歌でも映画でもさ、その時々必要なものがどこかしらから与えられる。「止めないで」という新曲を、「11月」に聴くことができたこと。そして今日、この曲の生演奏を全身で受けとめられたこと。

どちらも心から、喜ばしい出来事だった。どうもありがとう。

(本人にきちんとお礼を伝えたかったのに、ポストカードをもらうときですら、どもるわしどろもどろになるわでさんざんだった。ああいうとき緊張しない人間になってみたいもんだわ)

去年は山梨で、今年はこのなめくじの出る家で、さて来年はいったいどこでわたしはこのひとの音を浴びているんだろう。だれとごはんをたべて、どんな本を読んでいるのかな。

杜海掲示板
アメーバブログを引越し先に選んだのは、URLが携帯とパソコンでおんなじだっていうのがいいなあって思ったからだった。そのことを知ったのが前出の素樹文生さんという作家先生のブログでした。

わたしはこのひとの書いた「旅々オートバイ」(新潮社刊)という本を20のとき駅前の本屋でみつけた。

当時わたしは仙台で最初のひとり暮しをしていたけれど、売り子のバイトで青森・山形・秋田へ泊りがけで出張していた。移動中のバスのなかや、宿泊先のホテルで寝転んで読みながらさ、わたしは生まれてはじめて「旅、をしてみたい。宮城の外にいってみたい」と考えるようになった。

わたしが相当の出不精だったのは、みなさんご存知だろうけど、家族といった半月におよぶ北海道キャンプ旅行でさえ、実家に帰ってきたうれしさに涙するような子供だったんだよ。

タイトルと、表紙の写真がやけに印象的で手にとった「旅々オートバイ」。その写真が佐内正史さんのものだと知って、やけに納得してしまったのを憶えてる。引力があったんだ。ぐわーんって惹きつけられてしまうような、力。

この本はどこから読んでも、いい。かならず気持ちに響く言の葉がそこにはかならずある。なんべん読んだって文章に飽きて、擦り切れ色あせると言うことがない。まったくない。

旅に出てひとに会ってみたくなった。自分の生活スペースの外で、知らないだれかと、話をしてみたいと思ったんだ。

その気持ちが増幅していって、とあるひととの出会いで着火するに至り、どかーんと爆発したのが22のときか。2年もかかったあたりが、わたしらしいというかなんというか…。

そうして「旅々オートバイ」もさ、「春の完成」とおんなじ箱のなか、北へ南へわたしといっしょに季節をめぐってくれたというわけだ。
 

そんでもってこないだ2時間500円の占いに行ったあと、素樹さんのブログみたらばよ、よく当たる姓名判断が紹介されていたのでやってみた。

わたしの名前は旧い漢字で占うらしいけど、こちら新しい字でしか占えないみたいなのが残念。以下、診断結果なり。

でっぷりと太り落着いて悩みない人に見えます。ロマンチストで考えに飛躍があり挫折すると自殺してしまうこともあります。親をしのぐ実力者となり家名をあげます。女性は男勝りで信用は抜群、男性はハッタリ強いが統率力があります。まじめで情熱家で意志強く不正嫌います。努力家であり信念が強く口は悪くとも心は純なのです。独創性、奉仕性の高い仕事や職場で成功、広範囲な交際すれば大成功します。男性が離散しやすい家系です、芸術や特殊な仕事で世に認められやすいでしょう。常に不満を心中に宿し、他人との意志疎通に欠けます。女児に恵まれますが男性は断種手術もあります。才徳を有し、堅実で努力しどんな艱難辛苦にもめげず、がんばっていくため人の指導者となって地位、名誉、財産ともに栄えるでしょう。ただし人をバカにしたような癖や態度を振り回し過ぎて威張ると人から非難を買いますから注意してください。健康面では、胃腸の病気、手足のケガ、手術をします。開運法は、いばらないことが最高の開運法です。誠実度=38点 勇気度=80点 愛情度=33点 繊細度=50点

でっぷり… 挫折すると自殺… 愛情度、低いなあ。愛と勇気は友達でしょ?

ちなみに、わたしの手には栗剥き器でざっくりやった傷、足には2度の自損事故で負った傷がいまもしっかり残っています。

素樹さん、限定100人“池内村”への入村まだ間に合いますか?

杜海掲示板→http://6606.teacup.com/morinoumi/bbs
↑ 暗くてよくわからないけど、けやきの木

1・仕事場で履いてるホーキンスのサンダルを履き替えるのを忘れたまま退社してしまう。

2・それでも図書館の本を返そうと、寒空の下ひたすらかぽかぽと歩くこと30分弱。定禅寺通りのメディアテークに到着。いざ返却しようと鞄に手を突っ込んでも、あるはずの本がない。どこ見てもない。持ってくるのを忘れたらしい。

3・脱力したまま、さらにかぽかぽ地下鉄まで歩く。改札を通ろうとしたらば、今度はスキップカードが見当たらない。まだ2千円分残っていたのに! 一体どこへ!? 放心したまま小銭で切符を買う。

とまあ、本日はじつにさえないいちんちでした。

定禅寺通りというのは仙台の冬の風物詩、「光のページェント」の会場にあたるところ。初夏になると、ケヤキ並木が一斉に芽吹いてとってもきれいなんだよ。

師走の今日ひさしぶりに通りを歩いたら、葉っぱがはらはら落ちていた。最初、目の端でとらえたときは一瞬、「雪?」と思ってたまげた。

もうすぐもうすぐ、降るんだろうな。初雪。
 
杜海掲示板→http://6606.teacup.com/morinoumi/bbs

さっき、うちに遊びに来てくれた友人・ののを、自転車で送っていった。ジャージのままで、パーカーのフードかむったまんまで。

今日の仙台の冷え込みは、手袋をしなかった指をぶすぶす突き刺す威力だったけれども、月はこうこうと、星はしぱしぱとまたたく、それはそれはよい月夜だ。

「チャリのふたり乗りひさびさだー」
とふたりでうきうきうかれ語らいながら、駅までの坂道を下った。
 

今夜のもりみめしは、おとといの土曜日、なべにいっぱいこしらえすぎた千草なべの具にほんのりお味とろみをつけた、野菜たっぷりあんかけそうめん。すりごまと、しょうがを薬味にいただく。

おやつは最近お気に入りのクリームチーズ入りのたいやき、カスピ海ヨーグルト。

「おなかも、心もいっぱいだ」と。

色とりどりの玉の首かざりの女・ののがそう言ってくれたので。

そしてさらに!だいすきな作家さん(大鋸一正氏)が掲示板に書き込みしてくれたので、わたしは今夜ますます満たされている。

くそ寒いへやでストーブなしでも気持ちはほっかほかだ。
 
 
「春の完成」(河出書房新社)は、どこへいくにも持ってった。青森、四万十、河口湖でさ、どこで暮らしてもわたしはこの本をそばにおいてた。

ほかのどの本にも似ていない、独特の空気感。その温度や湿度からもたらされる安心感が、わたしを落ち着かせてくれるから。

ざわざわ焦ったり、疑ってしまいそうになるときも、いろんな時にいろんな場所で、わたしは気持ちをなだらかにすることができたんだ。


ネットってすんごいなあ。
こうやって届くんだもの、ちゃんと。


杜海掲示板
http://6606.teacup.com/morinoumi/bbs


とりこと待ち合わせて、ドトールへ

マロンラテとココア、ゆず風味のサンドをはんぶんこした

昨日おとなりのしまさんと縁側でお話してたらば、ひとりっこのりょうたくんとなんでもはんぶんこしてるんだよ、って話題になった

その間にも、わたしにみかんやあんぱんをぼんぼんくれる気前のよさ!

なにかをシェアするってことを、ちいさいうちから当たり前にできるのってすてきだなあと思った

りょうちん、いい男になってくれ
 
夕方、自転車で生協まで買物にゆく。

野菜売り場ですれちがったおねえさんが鞄に入れてた、『グローリー』ってパン屋さんの食パンが、なんともうまそうで。

この町に越してきてから、ずーっと気になってたお店だったので帰り道に立ち寄ることにした。

(のちほど追記)

つづき。
バンプが「オンリー・ロンリー・グローリー」出して以来、前を通るたびに今度ゆっくり立ち寄ろうと思っていたこのパン屋さん。

大根、にんじん、高知・馬路村のゆずぽん大瓶など、やけに重いものばかり買い込んでしまったせいで、自転車がなかなか止められなくて難儀した。

店内におじゃましてから、かぼちゃの種がぶすぶす刺さってるわたしごのみのかぼちゃぱんを発見。レジに持ってゆく。

「おねえさん、うちの食パンたべたことある?」と聞かれて、ないです。と答える。するとお店の方が奥のほうから、まだ温かくふわっふわのパンを持ってきてくださって、手でおとりなさい、と試食をすすめてくれるではないか。

きめが細やかーな、冷めても固くならないグローリーの食パンは、根強い人気だそうだ。
スーパーで売ってる6枚だの8枚切りのパンに慣れてしまったわたしからすれば、豪華すぎるような気がしたくらい、ぴかぴかな味がした。

焼かなくても美味しいらしいけど、わたしはほんのり焼き目をつけたところに、バターとメープルシロップをとろりと落としていただきたいなあ。

おまけをたっくさんいただいて、光るパンの店をあとにする。休日はパン食の実家のひいとびとにみやげとして持っていくことになった。明日になっても固くならないんだって。

さっき帰っていった鍋なかまの3人(葉子・とーるくん・せきねくん)にも切り分けて持ってってもらった。これはわたしがふとっぱらなのではなく、お店のおかみさんの気前がすこぶるよいのだ。ほんとうに、どうもありがとうございました。

おいしいパンをもたらしてくれるパン屋さんは、町の宝だな。お米とちがってそのままいただくものだから、心の底からおいしいと感じるものに出会えると、喜びでいっぱいになる。

ああ、今日はたべすぎた。昼間、バゴーンの焼きうどんしか食べていなかったところに大量に夜ごはんを食べたらば、腹が痛くなってしまったよ。もしくは緊張か。

せきねくんは最近そのひ帳を読んでくれたひとだけれど、とーるくんから「その主張」と紹介されて、一生懸命検索してもひっかからなくて苦労したそうだ。そりゃ、ないだろうさ。一体どんな主張がとびだすというのだろう。

ごはんをいっしょにたべたひととは、腹のさぐりあいなしで会話できる気がするのがうれしいな。

杜海掲示板→http://6606.teacup.com/morinoumi/bbs