わたしは携帯の充電をパソコンでしている。USBケーブルに差し込むタイプの充電器を使ってるからだ。テレビも映らないのでニュースはヤフーニュースで知る。

充電しながらネットをみてまわるのだけれど、毎日のぞき見している「旅空日記」は旅の写真を撮りつづけている三井さんというひとのブログだ。

今朝もまた、すがすがしくこたつで目覚めてしまったけれど、旅空日記を読んでたらとてもよい話がのっていたのでトラックバックする。

三井さんは友禅染の職人さんに、「性格画」ってのを描いてもらったことがあるんだそうな。職人さんは会ってかんじたことを山水画に表してくれるんだって。それがまたたいそう当たってると評判らしい。

三井さんの性格画の画像が載っていて、それがまたわたしのすきな色がてんこもりでさ。空色の山、深緑の森、若葉の黄緑、色ずく葉の赤紫。
 
みていてとっても安心する画だった。

わたしはこのひとが撮った写真で忘れられないのがある。
どこかの外国で、紫陽花のがぐわんぐわん咲き誇る道を、のんびり歩くじいちゃんとばあちゃんの画を切り取ったやつ。散歩するじいちゃんばあちゃんとすれ違うたび、あの写真を思い出していた。
 
 
ヴォイスヒーリングの満喜子先生が、わたしの歌を歌ってくれたのは去年の夏。
満喜子先生はそのひとごとの波動を音と響きに変換して、歌から伝わったことをお話してくれるんだ。

わたしははじめて自分の音を聴いたとき、「あ、これだ」っていう高さの音を知った。
それより高くても低くてもなにかしっくりこない、どんぴしゃの音。その響きを聴いてるとちからがむくむくわいてくるような、でもしんみりする、いとしくて、かなしくてああ、どうしようっておなかをかかえたくなるような、その音。

そして聞くことができた、わたしの魂の話。このふたつはわたしの財産だと思ってる。

あの日、あの時の自分の歌を聴けたのは、とても幸せなことだった。乗り越えなくてはいけない山を前に、迷っていたわたしを根底から支えてもらった気がする。実際、その後2ヶ月間をおいて歌っていただいた時には、旋律も音の高低もまったくちがうものになっていたから。

占い師でもなく、予言者でもなく。そのひとのあるがままを色や歌で表現できるひとが、たしかにいる。おんなじ島のどこかにいてくれる。そう考えただけで愉しくなる。わたしはこういううきうきが、とてもすきだ。
 
 
今日もまた、風が強い。傘などさして歩いたら、メアリーポピンズみたいに吹っ飛ばされそうだ。
昨日は日中ふとんを干してから仕事に行って、帰宅してまっさきに寝床をととのえ、「さあ、いつでも倒れこめ!」って思っていたのにもかかわらず、前夜に引き続きのこたつ寝。

わたしのこたつモラトリアム生活はまだまだつづくのか?


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風の強い今日この日に

おととい発売の新譜を、仕事帰りに受け取りにゆく

薬局3軒はしごして、特売品をひとつずつ買う

カスピ海ヨーグルトの種を培養しはじめた

のちほど追記いたします

(追記)
昼間、仕事に行く途中、知らず知らずのうちに顔が笑っていた。

風が強いなかを自転車で走ってるさまが、まるで高校の頃のようだったから。

まだ髪がうんと短くて出不精の虫だったころの自分と、いつのこまにか長く伸びた黒髪を高い位置でひっつめ、どこかに行きたいけどさくさく行かれなくてもどかしい今日のわたしが、おなじ自転車に乗ってるんだなあって思ったから。

Coccoがタワーレコード限定でCDを出した。くるりの岸田さんといっしょの、セルフカバーである。1枚目のアルバム「ブーゲンビリア」に収録された曲の日本語バージョンだ。

「SING A SONG」~NO MUSIC,NO(LOVE)LIFE~
うたうたいのこっこがかえってきた、という気がする。

なんといっても正規のレコード屋さんから新譜が出るのはえらい久しぶり。昨夏から人前で歌をうたいはじめたとしても、DVDのおまけや絵本の付属の葉書での通販と、限られた条件でしか自分の音を届けたがらなかった。

このひとは自分の道を曲げない。
こうしよう、と思ったところをずんずん歩く。
そしてなにより、言葉に不純物をまぜこまないところが、わたしはとてもすきだ。

散らかったへやを片して、ゆっくり聴いた。
今日届いた友人からの手紙を読みながら、ただ1曲を繰り返す。

ああ、わたしのすきな声だ。

そう思った。
 
  
こんなに風のつよい日喜ばしい日に、ますますわたしを天まで昇らせるかのような言の葉を届けてくれたひとがいて。

すっきりした部屋のこたつに入って、だいすきな歌い手の新しい音を耳にしながら、信じられないほどのごほうび詰め込まれた玉手箱のような届け物をあけて、いただきもののおいしーいケーキをいただいた。

今夜、全身からはまちがいなくなにか「よきもの」がほとばしっているはずのわたしのそばには、冷蔵保存から目覚めたばかりのカスピ海ヨーグルトの種がいる。

さあさ、よきものたくさん浴びてさ、すくすく育てよ。
これからたくさん子孫を繁栄してってもらわねばならぬので。

わたしの栄養を糧にして、雑菌なんかめじゃないほどの生命力で生き抜いてほしい。

  
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写真は月曜日に行った、仙台駅東口にある
まんが喫茶でのおひるごはんの風景
ホットサンド100円なり
おにぎりの無料サービスまであるんだよ
朝はおかゆ、おやつにはドーナツ、夜は日替わりのスープ

タイトルは、さっき行った占いで言われたこと
のちほど追記いたします
 
(追記)
 昨日さくら野でおやつを買ってとりこんちに行く途中で、その看板をみたらば突然行きたくなったんだ。
 映画館のあるビルで、500円でみてもらえるという。過去を当てたうえで、未来を占ってくれるらしい。だいたいひとり2時間くらいが目安とある。

 わたしはいま、これといって悩みがあるわけではない。悩んでいるときには、どこかに行こうという気力さえなくなるから、占いに心血注ぐということもないのだ。
 でも、調子がいいときに受けた刺さるような助言や、きつい仕打ちっていうのはさ、のちのち生かされてくることが多い。ダメージも大きいけど結局はわたし自身の楔、もしくは成長ホルモンになる。

 今回はなんとなく、ほんとうになんとなく観てもらおうかなあと予約を入れた。
 いままで、お金を払ってみてもらった占いで印象に残ってるものはあまりないけれど、さて今回はいかがなものか。

 うきうきうかれつつ、店内に入って受付をする。お姉さんに必要事項をかいた用紙を手渡したあと、カーテンで区切られた待合コーナーで「先生の準備ができるのを」待つ。

 「先生」は鑑定歴24年のおじさんだった。わたしは自分の過去を先生がどれだけ当ててくれるのかをとっても楽しみにしていたのに、いろんな説明がいちいち長くて、開始5分ですでにもやもやがたまってきた。

・先生は名前の画数でそのひとの運をみるらしい
・これまで3千人以上の子供の名付け親になったらしい
・名前はつけた親にもつけられた親にも否はない、運があるかないかのちがい

「さあ、とっととわたしの過去を当てとくれ!」と言いたいのに、とりあえずふんふんうなづくわたし。もやもやがいらいらに変わりかけたころ、ようやく先生があらかじめ用意しておいてくれたらしい、わたしの名前の画数が書かれた用紙が登場した。漢字4文字それぞれの画数、足したもの、などを画数早見表のようなもので照らし合わせて教えてくれる。

おおまかな診断は以下のようなもの。

*0~29歳までは遭難・事件・厄災・三角関係・不倫などに巻き込まれやすい
*好きな人には振り向いてもらえず、嫌いな人から好かれる
*人・食べ物・趣向の好き嫌いがはっきりしている
*意地っ張り・親分肌、事業・仕事運はよい
*24,27、30、33歳が節目
*結婚ができれば30代以降の運気がぐんぐん上昇する
*50代以降の運気が多少弱まる、胃腸の病気に注意 

 わたしをよく知るひとがみたら大笑いすることうけあいだろう。だって、わたしも大うけしたもの。げらげら笑ったっつーの。

「遭難運」とかいうのがさ、28画らしいよ。どっかの組み合わせがそうらしくてね、そういえばわたしこれまで2回遭難してるし、交通事故(自損含む)にもあってるし。思い当たるふしが多すぎだ。

 でも正直それぐらいだった。過去を当てるって言っといて、ただたんに画数が該当したところの資料を見せてくれて、それみてわたしが大騒ぎしてただけでさ。先生がわたし自身をみてどうこう話してくれるわけではなかったんだもの。

そして、芸能人や有名人の例を持ち出してくれるんだけど、大きな事件の犯人や被害者まで鑑定しなくてもいいんじゃないかな、と思った。つい「悪い例じゃなくて、いい運勢になったひとはいないんですか」って切り替えしてしまったわ。

後半は数年前に印相学でみてもらったときみたく、印鑑で運勢を補えるんだよ、ってことを話してくれたけども、知ってる話をえんえんと聞かされると疲れるでしょう。こっちは買う気もないわけだしさ。雰囲気で感じてくれるように、気のないふり全開だったんだけども、先生はあきらめずに最後まで説明してくれた。

ありがとうございました、と言って店を出て、かけうどんを食べた。
TUTAYAでCD借りて、地下鉄に乗った。
黒松の生協で買物して、えりまきぐるぐる巻いて自転車をこいできた。
 
 
占ってもらうために要した2時間、500円分、笑えたかな。
わたしの内側はなにも変わっていないけれど、それでよしとしようかな。

ああ、生協のあつぎりポテトチップス(バターしょうゆ味)はうまいなあ。
打ち込むあいだにひとふくろ、いっぺんにいってしまった。
 
 
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休日でスーパーこみこみのデパ地下の戦利品は,限定50箱のモンブラン、下は濃厚なチョコケーキでした。
とりこんちのこたつで『こいー、こいー』と、みなで口々語りつつ、ぺろりとたいらげる。
ごろごろしたらば夜ごはんをつくりましょう。
もりみめし、なにこしらえんべかね。大根とキムチがあるらしい。

(追記)焼きうどんと、具だくさんのお味噌汁をいただきました。

 
たまたまネットの海を泳いでいたらば、とある日記にこういう文章があった。

「宝物ってなんだろう」

わたしがこれみてまっさきに思い出したのは、マッキーの歌だった。
「君は僕の宝物」っていう曲だ。

このひとのうたは情景がどばーぁって広がるのが多いけれども、同タイトルのアルバムが発売になった当時、中学生だったわたしは曲中に登場する「帰り道の公園」「週末の夜中のドーナツ屋」にとっても憧れがあった。いなかで思春期を過ごしたために、公園は近所の小学校(まわりは田んぼ)に、ドーナツ屋はお寺のとなりにある商店に置き換えるしかなかったわけさ。

わたしはたばこを吸えない。以前は煙の近くに近寄るのもだめだったけど、最近は平気になった。
吸ってみたことは、ちゃんとある。
山田詠美の「放課後の音符」に影響されて、14のときにおとんのセブンスターを一本拝借して、意気揚揚とわんこの散歩に繰り出して、夜の田んぼ道で火をつけた。
そして、当然のごとくむせた。咳き込んだ。
誰からも吸い方を習っていなかったし、もともと喘息持ちだったからか、わたしの全身が煙草を拒否したのだった。

去年「吸ってるところをみたい、絶対似合うから」と言われて、おそるおそるためしてみたけれど。記念写真を撮って、おしまいだった。わたしと煙草は互いに遠い存在のままだ。

おなじ煙草でも吸うひとがちがうと、残り香も変化する。
わたしは目が悪いけれど、耳と鼻はけもの並み、手の皮が薄い猫手・猫指で、触覚も発達しているほうだと思ってる。
だからそっちの記憶力はとてもいい。そりゃあもうしつこく、記憶することができる。
 
 
わたしの宝ものは、そんなけものじみた記憶力で保存してる情景や、言葉や、音だなあ。
いつだって自由に引出し開けて取り出すことができて、楽しんだり、懐かしめるしさ。ときたま、うんとしょっぱくて、にがかったりもするけど。

引出しの数は、多くなくたっていい。整理整頓にこだわらずに、ぼんぼんつっこんでしまえばいいんだ。「だいじ」のラベルを貼って、みんなひとくくりにしてしまえばよろし。あれはいい思い出だとか、忘れたいとか、記憶にまで優劣つけることはない。

ほどよくゆとりやら余裕やらがあるのなら、どんな記憶もわたしに襲いかかったりしないだろう。真っ暗な沼底に引きずり込んだりしないだろう。しまいっぱなしにして腐ってしまわないように、時折風を通してやらなきゃいけない。陽の光にさらして呼吸をさせてやらないと、きっと苦しがるから。


わたしは記憶にふたをしない。なかったことになんて、してやらない。
 
 
たからものは引出しのなかで生きてる。
つぎのたからがやってくるのを、両の手ひらいて待ちわびて。

 

おとんが昨日山からとってきた木くらげ。
ふくちゃんがキャベツといっしょに炒めたものが朝ご飯に出た。
肉厚のこりこりしたおいしさが素晴らしい!

うちのおとんというひとは、もともと山だの川だの海がだいすきで、去年からは近所のおじさんおばさんを師匠に迎えて「山菜・きのこデビュー」を果たした。

9月いっぱいで渓流釣りは禁漁になるから、先月はというと、毎週末師匠夫妻やうちのおばばなんかといっしょに、喜々として山へくりだしておった。

実家に帰ると台所にはボールやらびんやらに、きのこがぎっしり。
「あそこで○○タケが生えてて~」と惚けてる父、ひとり。
春は山菜、秋はきのこ、その他の季節は釣りやらスキーやらでなんだかんだと春夏秋冬大忙し。
 
かたや母・ふくはたまげるほどの無趣味ぶりだったけども、ちかごろは「ふくぶくろ」が好評いただいているようで、ついにふくちゃんにも生きがいの春がやっていたというところか。


だれかとなかよくなるときは、すきなことのはなしがきっかけになることが多いでしょう。
ちょっと苦手なような気がしていた相手ですら、すきなものの共通点が見つかったその時点からなんだかいいひとに思えてくるのは、ふしぎ。そして、うれしいもんだ。
 

今日はお昼から東京国際マラソンをおばばと観戦しながらこたつで寝てしまって、応援していた千葉真子選手がゴールするときにちょうど目がさめた。
そのあと、妹・みりとお買い物にゆく。

電気屋の中古CDコーナーで、リリィ・シュシュのアルバムを発見。
こないだタワーレコードでサリュ(=リリィ)の新曲を聴いたんだけど、その翌日に本人がゲスト出演していたラジオもきいた。ここ数日なにやらとてもリリィづいている。
 

岩井俊二監督作品では、「スワロウテイル」がすきだ。

主人公は孤児になったばかりだったけれど、何より名前をもっていなかった。
グリコという娼婦と出会い、「アゲハ」という名を与えられ、自ら胸にその刺青を抱えて生きることを選ぶ。

名を問われて、澄んだ表情で「アゲハ!」と答えるその姿が、名前にコンプレックスがあるわたしの目にはとても鮮やかに映るんだ。

渡部篤郎と山口智子、大塚寧々ら脇役もとてもいい。脇役フェチにはたまらん映画だ。

「FRIED DRAGON FISH」は、CHARAが歌うエンディングテーマがいいな。

熱帯魚をめぐるおはなしの、甘くて、笑えて、痛がゆい、あのすてきな後味。ラストシーンからピアノの前奏へのつながり方が絶妙。物語と、歌とでひとつの映画、世界なんだよね。
 
 
いろんなひとが自分のなかにしのばせてる、すきな映画のお気に入りの登場人物やひとつひとつのシーンを、たくさんたくさんきいてみたい。

できることなら、そのひとの口から、その目を見ながら。

昨夜実家に帰ってきて『Dr.コトー診療所』をみる
こないだ録画を頼んでおいたやつだ

出だしのあたり、ウチさんとコトー先生が
『ばいばいっ』『…ばいばい』
って言い交わす場面が気に入った

さくら野のデパ地下オープン初日に手に入れた
たまごやのロールケーキ(栗ごろごろ)
うんとうーんと美味かった!

仙台の街なか、藤崎デパート本館にて
12日から今日18日まで、カスピ海ヨーグルトの販売が行われている

わたしはそれを「ぱど」というフリーマガジンで知った
手帳にしっかり書き込んで、
忘れないように忘れないようにとこっそり大騒ぎしていた

なによりはやく、同居人を増やしたかったのだ
なめくじのようにうにょうにょ這い回ることなく
わたしの心までほどいてくれる、いとし子よ


河口湖で仲居をしていたときに、りりというお茶のみ友だちができた
1Kのアパート、わたしの真下の部屋に住んでいるその子は
賢くて仕事ができて、きれい好きな気のいいおねえちゃんである

とっても頭の回転が早いのにでもどこかぬけていて
そんなことしそうにまったく見えないのに、時にぶっかます大ぼけ小ぼけ
その絶妙なアンバランスさがわたしのツボであり、
ひきつけてやまない資質でもあった

わたしが「りり茶」と呼んでいたのは、そんなりりのお部屋で
おやつをたべながらつらつら話す、というもの
あの子とすきなものの話をしてるときりがなくて、
いつもつぎからつぎへと聞きたいことも話したいことも
ぐわぐわーって、あふれてとまらなかった
 

お茶はジャスミン、おやつはカントリーマーム(30枚入りのお徳用袋)
そして、りりが育てたカスピ海ヨーグルトがお供だった
 

知ってはいたけど食べたことがなかったカスピ海ヨーグルト
黒胡麻きな粉とハチミツをかけたのを、りりはわたしに出してくれた
なんともいえないどろろーんとした口ざわり、舌ざわり
「おもしろーい」「もっとくれ!」

いつ行ってもすっきりと整頓された、りりの雰囲気に染まった部屋のなかで
お茶と、おはなしといっしょにいただくカスピ海ヨーグルトは
あのころのわたしにとってとてもありがたい滋養のたべものでもあった
 

牛乳パックでつくることができるというので、里子をもらった
さじに2.3杯くらいのヨーグルトをパックに牛乳にいれ、
ティッシュでふたをしてほったらかす
菌は生きているから、きっちりふたをすると酸欠で育たなくなるそうだ
 

はた目からみたら、ひとり暮らし
でも実際は呼吸をしてすくすく育つ生き物が住まう部屋に、帰る

いいじゃないか、うきうきするじゃあないか

富士山を背中に、河口湖のほとりで
わたしはもの言わぬ家族と住んでいたんだ

 
仙台に帰ってきてからも、またあの暮らしを!と思ってはいたけど
身近にカスピ海ヨーグルトと暮らしている人もおらず、同居は叶わぬまま
去年りり茶であたためられたのとおんなじ季節をわたしは迎えたわけだ

んで、そこへ藤崎!ありがとう限定販売!
昨日、仕事の前に地下鉄を降りて行ってきました

インフォメーションのおねえさんに
「カスピ海ヨーグルトはどこで買えますか」とたずね、
デパ地下へ誘われるとあったあったよ、
カスピ海ヨーグルトの看板が

期間限定の店舗にはそのまま食べられるのも売っていたけれど
「種菌スターターセット」というのがまず目に付いた

山梨ではりりのたべてたのをそのまま種菌としてわけてもらったけれど、
わたしの「手間がかかってもおもしろいもの好き」精神をくすぐるそれと、
ブルーベリー味のフレーバーヨーグルトをわたしは連れ去ってきた

昨夜、葉子んちでとりこともりみめしをたべ、
知らず知らずすぴすぴいってたこたつ寝からめざめたののち
ブルーベリーのは、みんなでぐるぐるまわして食べた

いまもまだ冷蔵庫の冷気の中で眠りについてる粉末状の菌ちゃんらには、
来週になってから目ざめてもらわねばならない
今週末は家を留守にするからだ
 

さあ、またふたたび、無口な家族との同居生活がはじまりる


両親がO型なので、わたしはO型気質を色濃く受け継いでいると思う

今年に入ってネットの海に日記もどきをのせはじめたのだけれど、
これまでレンタル日記ふたつ、ブログひとつを渡り歩いてきた
あきっぽいというより、見切りをつけたらあっというまと置き換えるのが
はたして正しいのかどうか
どれもこれも一長一短のような気がしだすと、もやもやが増幅するのだ

わたしはこの「もやもや」にとっても弱い
一回考え始めるとだめなんだ 気になって気になってしかたがない

重い重い重すぎる、と一部で大評判の某ブログは、
携帯からみるにはわざわざIDを入力しなければならない
なんてことないことのようでいて、わたしはこれがとってもいやだった
だれかにアドレス教えてといわれるたびに、
メール送って説明するのがむずがゆかったから

おんなじアドレスならどんなにいいか、と思い続けていたところ、
作家の素樹文生さんのブログで
「このブログは携帯からでもおんなじアドレスでみられる」
とあったので、ここ2,3日で一挙にずどーんと
アメブロ引越し気分が高まってきたというわけさ

さっき徹夜明けの真っ昼間に、やけにやる気まんまんで
いきおいまかせでざくざく作ってしまったんだけども
携帯からだと画像がみられないのね うーん、なんとかなんないのかな
 
週末にでも、あめぶろカスタマイズにじっくり取り組もう

 
今日はこれから街のデパートまで、カスピ海ヨーグルトを買いに行く
山梨にいたとき、りりが里子にくれたあの愛すべき菌類と、
この杜の都でまたふたたび暮らせるのかと思うと、
もううきうきが止まらんわ  たのしいし、おいしいし
 
 
血小板も、ヨーグルトも、わたしたちの細胞も
心がまえひとつ、言の葉ひとつでよくもわるくも転がってしまうのだから