2016年4月29日【日野】
◇石田寺
土方歳三資料館を後にし、昼食を食べたら、石田寺へ向かいます。
歳三さんの誕生日は天保6年(1835)5月5日、
命日が明治2年5月11日と伝えられています。
したがって、この時期は兼定の刀身が限定公開されたり、歳三忌が行われたりします。
歳三忌への参加も検討していたのですが、
せっかくここまで来たので、墓参していくことにしました。
歳三さんの墓所がある石田寺は、資料館から歩いて10分程のところにあります。
さすがにこの日は石田散薬の製造体験に来られていた方々が沢山いらっしゃってました。
手を合わせたら、バス停まで移動。
「新選組のふるさと歴史館」へ向かいます。
▼石田寺
▼土方歳三義豊之碑(境内内)
◇日野市立「新選組のふるさと歴史館」
バスに揺られて 、15:00頃、
日野市立「新選組のふるさと歴史館」へ到着です。
現在、平成28年4月23日~6月12日にかけて
描かれた新選組Ⅲ「新選組創作 温故知新」
が企画展で展示されています。
閉館まで2時間。時間はさほどありません。
前回訪れた時の教訓をもとに、全体像を見まわしてから優先順位を決めます。
(σ・∀・)σ 展示について(覚えていること限定)
「薩長が正義とされた時代、新選組は賊軍として描かれていた」
というイメージがあると思います。
私自身、自由に描かれるようになったのは昭和に入ってからでは?というイメージがありました。
確かに悪役、敵役を演じることは多かったようですが、
明治の東京の「元江戸市民」には江戸時代を懐かしむものや、
幕府方にたいする同情の念が存在しており、
幕府側を主役にして描いた浮世絵などが相当数ありました。
中には新選組が主役の作品も少なからず存在しています。
(一方、京都市民には薩長方を受け入れる気風があったようです)
展示品の中には、五稜郭での榎本、大鳥らと共に、
土方亡きあとの新選組の象徴として相馬が描かれているものもありました。
(実際には弁天台場にいましたが)
今回の企画展のちらしの原案にもなっている浮世絵、
明治7年(1874)の「甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇(ぎょうゆう)之図」(月岡芳年)
でも、堂々たる近藤勇が描かれています。
▼企画展のちらし
イラストにはinspired by「甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇之図」と記載されていました
大正~昭和初期には、新選組を題材にした小説や映画が登場します。
昭和3年(1928)の「新選組始末記」(子母澤寛)は有名ですよね。
映画では、近藤を主役にすえた新選組映画が多数あり、
当時のアイドル的存在である時代劇スターの多くが演じてきました。
あの手塚治虫も昭和38年(1963)に「新選組」という作品を発表していました。
ここまでの主役はなんといっても、近藤勇。
土方や沖田の存在は薄いのです。
ところが昭和中期になると、流れがかわり、
土方歳三や沖田総司にスポットがあたっていきます。
恐い鬼副長でありながら、人間味あふれるかっこいい土方や
剣術にたけた美しい青年剣士の沖田が主役級に扱われるようになり、
近藤の存在感は従来より低下。
これは、司馬遼太郎の小説、
昭和37年(1962)に発表された「燃えよ剣」や
昭和39年(1964)の「新選組血風録」による影響が大きいとのこと。
ドラマ化による相乗効果もあり、新選組のイメージを変えた作品です。
司馬遼太郎の作品は史実のようなリアリティある描写が特徴ですが、
実際は劇的にするために史実ではない設定も採用されています。
しかしこの流れはその後の作品に影響を与えました。
例えば、土方や沖田など、司馬遼太郎が創作した人物設定はその後多くの作品が踏襲し、
現在のアニメや漫画、ラノベに続く歴史ファンタジーへと続いていきます。
少女漫画では、昭和50年(1975)に発表された「天まであがれ!」(木原としえ)で、
「主人公の少女がわけあって男装して新選組に入り、イケメン隊士と恋をする」
という昨今でも王道であり繰り返されるストーリーの原型が提示されました。
確かにこの流れ、嫌って程よく見ますが、まさか私が生まれる前からの流れとは。
その後は作品が減った時期もありましたが、
平成16年(2004) NHK大河ドラマ「新選組!」の前後で多数登場しました。
大河の新選組といえば、山南人気!
堺雅人が山南敬助を演じたのを契機に、ここで山南人気が上昇しました。
展示はここ最近の作品まで網羅しており、
銀魂や薄桜鬼、アサギや風光るなども展示物に(*'▽')
すっごいなー。
展示物に漫画の原画とかまである!
と、ちょっと興奮気味に展示を見て回りました。
新選組は縦の関係も横の関係も書きやすく、作品のネタとしても扱いやすいようです。
また作者の多くが、新選組ファンでもあります。
だから、ファンである読者にもその心が伝わって惹かれるものがあるんですよね。
と、興奮気味に企画展を見てたら、結構体力の限界がきていました。
常設展はさらぁーっと眺めて・・・
(σ・∀・)σ 大和守安定(写し)の展示も
日野市在住の作家浅田次郎氏の『壬生義士伝』。
この主人公 吉村貫一郎の佩刀「大和守安定(写し)」が期間限定で展示されています。
疲れもピークだったので詳しく話は聞いていませんが、
興味のある方には嬉しいものだと思います。
写真だけUPしておきますね。
ここでは、和装と洋装の隊服を着て刀をさして写真撮影ができます。
専用の着替えるブースもあります。
さすがにこの日はファンの方も多く、結構たくさんの方が交代で撮影されていました。
(σ・∀・)σ 学芸員さんに教えて頂いたお話
それを横目に、販売しているこれまでの企画展の資料を眺めていたら、
学芸員さんに声をかけられ、少しお話をきくことができました。
色々お伺いしたのですが、印象的だったのは
「歳三さんは真面目に丁稚奉公していた!」ということw
よく大きな商家に奉公にいくも、長く続かず石田村に戻ってきていたなんて言われますよね。
でも実際はちゃんと働いていたようで、
村の公的な記述(石田村宗門人別書上帳)にはそれが残っています。
またその資料によると「歳三」ではなく「歳蔵」が本名だとも。
字画が多くて書くのが面倒になった歳三さんが、
京都時代に「歳三」と表記したことによると考えられるそうです。
当時は手紙と言っても代筆で、歳三さんがちゃら~と書いたものを、字の綺麗な人が清書。
(だから資料館にあった句集や書簡の筆跡があんなに違うんですね!)
その時下書きにあった「歳三」を代筆者がそのまま写したと考えられるそうです。
したがって京都時代のお手紙は、全て歳三なんだとか。
偶然にも学芸員の方のお話を聞くことができて、ラッキーでした。
ということで、今回も多くの学びと新発見を得て、帰路につきました。
力尽きて帰りの電車は爆睡でしたヨ(*´з`)
<おわり>
(途中、敬省略させていただきました)