レオナルドの「最後の晩餐」は、
人物の兼任と、人物の移動によって変化する意味と、異時同図法には見えない異時同図法によって、「最後の晩餐」から「イエスの顕現」までの複数の異なる時間を1枚に表現したものです。
「イエスの顕現」とは、十字架にかかった後の数日後に弟子らの前に姿を現すことです。
弟子らのなかで最初にイエスが姿を現したのは、マグダラのマリアでした。
ただ通常の「最後の晩餐」の席上には、マグダラのマリアはいません。
そこで、12弟子のヨハネに、マグダラを兼任させるのです。
ただし、単に女性的に描くだけでは、マグダラとは証明できません。
そこでヨハネをマグダラと証明するのに、レオナルドはボッティチェリの「聖三位一体」での、マグダラとイエスと洗礼者ヨハネの位置関係と関連づけようとしたのです。
最後の晩餐の中で、トマスだけが体が描かれていないのは、トマスに洗礼者ヨハネが兼任されているからです。(洗礼者ヨハネは首を切られて亡くなります)
背景の四角い窓は、ボッティチェリが肖像画によく描いていたもので、
窓を3つにしたのは、スポットライトをあて、この3人が重要であることを示すため。
ラファエロは、レオナルドの「最後の晩餐」をみて、この3人の位置関係と兼任に気づいたのだと思います。
「聖体顕示台」によって、「最後の晩餐」の場面との繋がりをつくり、
ラファエロの師匠ペルジーノの作品
最後の晩餐の12人の弟子を想起させるように、聖人の数を12人にし
最後の晩餐の12弟子
イエスの隣には、「最後の晩餐」と同じ位置に洗礼者ヨハネ、反対側は、女性にした。
女性-イエス-洗礼者ヨハネ
そして
三位一体
このように、ラファエロの「聖体の論議」は、レオナルドの「最後の晩餐」の仕掛けを解くヒントがイメージとしてちりばめられていると思うのですが・・・、
それでも「最後の晩餐」を紐解く一番のネックといえる、
「首だけの」トマスに洗礼者ヨハネが兼任されているという仕掛けを理解できねば始まらないのでしょう。
レオナルドの「洗礼者ヨハネ」は、まさに謎を解くカギになっていたから、
最後まで手放さずに持ち続けたのだと思います。
第79回も「聖体の論議」です。
参考過去記事