ゆず/栄光の架橋 | アラフォー・ミュージック・ジャパン

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『栄光の架橋』 ゆず

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中

いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…

悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た

悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ…

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった

いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…







この『栄光の架橋』は、ゆずの曲で唯一聴く思い出の曲です。

2004年8月の成田空港。
オリンピック出場を決めた日本のアスリート達は、決選の地アテネへと渡っていた。

数日前に会社を辞めた私も、日本代表の選手団のように強い決意と不安な気持ちを持ちながら、
成田空港に居た。
3月のオファから5ヶ月も経ってしまったが、いよいよ日本を離れ外国企業での海外勤務するためである。

生活そのものにはなんの不自由も感じなかった、3月から月1のペースで、訪れていた事にも助けられ、土地勘が出来ていたからだ。

現地で着任して2週間、会社で勤務している日本人は私1人であり、日本での生活が恋しくなっていた頃だった。
会社から与えられた、2ベットルームの146㎡のやたらと広いサービスアパートメントで見たテレビ、NHKワールドサテライトから、この曲『栄光の架橋』と共に柔道でのメダルラッシュ、女子レスリング、水泳、陸上とメダル獲得と入賞情報が連日伝えられた。
海外での日本人の活躍に涙が溢れた。

そして、始めて自分にもナショナリティーを自覚した瞬間でもあった