やけくそゴミだしPart2 | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

はい、そういうわけでもう、やけくそです。


昨日は、古紙とプラ容器の回収の日だったのですが、バナナの皮が入ってました。


あと、スイカの皮もですね。


しかもそれが、6つほど、投げ捨てられてました。


もうここまで来ると怒りを通り越してコントみたいですね。


志村けんの世界ですね。



「はい、今日は古紙回収の日ですよ。」


「はい、はい、待っててね。すぐ持ってきますからね」

(そう言って、バナナの皮を渡す)


「バナナの皮じゃねえかよ!」(突っ込み)



しかもそれを私が捨てていると、怪しい目でみる近所の女性の方もおられ(ま、当然か)しかし、そんな人の目にはめげず、捨ててきました。



しかし、もう人心の荒廃はかなり来ていると思いますね。もうやけくそですね。こうなると。


でも、経済がさらに悪化すると、さらに人心の荒廃は進むかもしれないですね。


もう古死とプラ容器回収の日にバナナの皮を入れても、それが、怒りを通り越して、コントという感覚も消えていくかもしれないですね。


「えっ、そんなの当たり前でしょ。何がおかしいの?」みたいにね。


あたりじゅう、ゴミだらけみたいな。


実際、フィリピンとかではそういうところがあるらしいですからね。


すごい時代に私たちは生きていますね。



といって、あきらめるわけはいきません。クリスチャンは。



もうここまできたら、社会改革をするなら、独裁しかない。



そう思う人達が増えてくると思いますね。


というか、社会改革だけを考えるなら、そう思う人達のほうが全うな感覚かもしれない。





しかし、勿論私たちクリスチャンは社会改革を第一とせず、個人の霊的な救いから、始めます。



なぜなら、クリスチャンにとっては「私の国はこの世のものではありません」(ヨハネ18の36)ですからね。