はい、そういうわけでもう、やけくそです。
昨日は、古紙とプラ容器の回収の日だったのですが、バナナの皮が入ってました。
あと、スイカの皮もですね。
しかもそれが、6つほど、投げ捨てられてました。
もうここまで来ると怒りを通り越してコントみたいですね。
志村けんの世界ですね。
「はい、今日は古紙回収の日ですよ。」
「はい、はい、待っててね。すぐ持ってきますからね」
(そう言って、バナナの皮を渡す)
「バナナの皮じゃねえかよ!」(突っ込み)
しかもそれを私が捨てていると、怪しい目でみる近所の女性の方もおられ(ま、当然か)しかし、そんな人の目にはめげず、捨ててきました。
しかし、もう人心の荒廃はかなり来ていると思いますね。もうやけくそですね。こうなると。
でも、経済がさらに悪化すると、さらに人心の荒廃は進むかもしれないですね。
もう古死とプラ容器回収の日にバナナの皮を入れても、それが、怒りを通り越して、コントという感覚も消えていくかもしれないですね。
「えっ、そんなの当たり前でしょ。何がおかしいの?」みたいにね。
あたりじゅう、ゴミだらけみたいな。
実際、フィリピンとかではそういうところがあるらしいですからね。
すごい時代に私たちは生きていますね。
といって、あきらめるわけはいきません。クリスチャンは。
もうここまできたら、社会改革をするなら、独裁しかない。
そう思う人達が増えてくると思いますね。
というか、社会改革だけを考えるなら、そう思う人達のほうが全うな感覚かもしれない。
しかし、勿論私たちクリスチャンは社会改革を第一とせず、個人の霊的な救いから、始めます。
なぜなら、クリスチャンにとっては「私の国はこの世のものではありません」(ヨハネ18の36)ですからね。