,可哀想な人をみて
もし私たちが
可哀想なまなざしを
その人に向けたら
その人は傷つく。
可哀想な人が
もし私たちを見たら
この人も
自分と同じように苦しんでいるって
私たちは
思われないといけない。
イエス様も
そういう人だったから。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
(イザヤ書53章4節から6節)