<そんちょうの人生讃歌・ピンポンものがたり>戻ります。
◆<26>「突然降って湧いた不穏な動き!仕事がなくなる!?」
入社して数か月たったころ、先輩社員たちのどこか落ち着かない様子に気づいた。あちこちでひそひそ話が目立つ。新米社員の私には情報が伝わってこない。正式な発表は何もない。いったい何が起きているのかわからない。幸いいつも気を使ってくださっている工員さんや雇員さんがいて「まだ秘密だが」と言ってこっそり教えてくれた。その内容を聴いてびっくりした!
なんと建設機械をフェイドアウトするというのだ。それに伴い建設機械設計の仕事がなくなるというのだ。冗談じゃない!入社したばっかりで仕事がなくなる!?
同じ三菱グループ内の別の会社(新三菱)が米CATと合弁会社CMを作ったのだ。その新三菱とは翌年(昭和39年)に合併しひとつの会社になるのだ。当然、三菱グループの建設機械事業は二つの会社に存在することになり統廃合が行われ、東京工場の建設機械は一部を残しほとんどは新会社CMが生産し設計は「アメリカCATのデザインセンター」のデザインを日本向けにmodifyするというのだ。生産拠点は相模原市の新工場だと。
なんだか騙されたような気分である。これだけの大きな事業改変である。当然数年前には決まっていたはず、じゃあ俺たちはどういう目的の雇用だったんだ??
新人の当時はどうしてこうなるのか、うかがい知る立場ではない。なんだかわからないでどうすればいいのかわからず右往左往していると具体的な動きが始まった。
所属建設機械設計課から複数の設計者がCMに転籍することになりその人選が始まったのだ。
私も候補にはなったが入社後一年未満と言うことで外された。一歩違っていれば私もそのメンバーに入り、まったく違う道を歩くところだったがかろうじて免れた。
翌39年春、指名された十数人の同僚たちが引っ越して行った。CM立ち上がり設計要員となったのである。人生にもしもはないというが、もしもあの時転籍要員になっていたら当然19歳にして相模原市に引っ越してしまい、大学進学も実現せずその後の私の人生は全く違ったものになったことだろう。
人生はある意味偶然の産物かもしれない。実に面白い!あとで気づくことになる「大きな人生の分岐点」がここにあったのである。(本内容は⑮でも投稿済)
(<27>に続く)