気象の神は知恵の神 | 旅の途中で

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毎日が旅の途中です。
日々の暮らしの中から学んだことを掲載させて頂きます。

くもおじいじゃ!皆は忙しいのぉ。クリスマスパーティが終わったと思ったら今度は気象の勉強か。
ここは神社じゃな。
 
 
気象神社とは珍しいのぉ。
お主たちはダイバーだから、海の天気は海象には日頃から気にかけているから、ここは真剣にお参りしとかんといかんがじゃ!
 
そもそもこの神社の御神体は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)という神じゃ。

八意思兼命は、高天原の最高司令官である高皇産霊命(たかみむすびのみこと)の子じゃ。
「八意(やごころ)」というのは“様々な立場から考える”を、「兼(かね)」は“兼任”をあらわし、“一人で二人以上のことができる”という意味の名前の通り、多くの人間の知恵を一同に結集させることができる「知恵の神様」じゃ。

神話によると、太陽神である天照大御神が天の岩戸に隠れて世の中が暗闇になった時、岩戸を開けて天照大御神を外界に戻す知恵を考え出したのが、八意思兼命じゃ。
再び世界に「太陽」を取り戻し、世の中を救うことに成功したのじゃ。
このことから「気象の神様」と祀られるようになったとも言われておるがじゃ。

また、八意思兼命はその名の通り『晴』『曇』『雨』『雪』『雷』『風』『霜』『霧』という八つの気象条件を司ることができるとされておるずらよ。
 
 

ここにある気象神社は、1944年(昭和19年)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区馬橋地区)の構内に造営されたそうじゃ。

軍にとって気象条件は戦略、作戦を講じるのに大事な要素であったため、科学的根拠に基づいた予報がされておったが、予報的中を祈願する、気象観測員の心のよりどころとされていたそうじゃ。

その後、戦後の神道指令で撤去されるはずの気象神社じゃたが、調査漏れにより残存できたそうじゃ。そして先々代宮司の山本実さんが受入を決断して、高円寺氷川神社に遷座されることになったのじゃ。

日本軍にとって天気は最重要な情報じゃな。わしも戦地で天気予報を随時チェックしておったぞ。海軍にとって気象海象は命の綱じゃから、常に調べるのが仕事じゃった。陸軍はここから気象情報を流しておったのじゃな。感謝しておるぞ。