禍を転じて福と為す[No.294] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

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 失敗や病気、事故といった不運が、その時は辛くて、辛くて、たまらない中、必死にもがきつつ、ようやく何とか切り抜けた、今はもう思い出したくもないようなことが転じて、長期のプラスのきっかけになることがあります。今日の朝刊に今のようなコロナ禍だからこそ、今までの旧弊を絶ち新たな成長への一歩を踏み出す契機になるといった記事が掲載されていました。流石に生きるか死ぬかの切迫した状況下で自分を守るための、これまでと同様の現状を損ない続けるような現状維持は難しくなるのかもしれません。そのままであり続けるには、まだまだ大丈夫な余裕がないといけませんので。「太ったみたい」はスレンダーな人に許される特別な言葉であるように。

 

 

 イノベーションのジレンマという考え方があります。他者より優れた商品やサービスで市場を支配した企業は、現状の改善に執着し、新たな挑戦への熱量に乏しくなります。その間、格下のライバルが必死に試行錯誤を繰り返した結果、それまでの常識を覆すような革新的な商品、サービスが市場に投入され、それまで市場を支配していた企業は下に見ていた企業にトップから蹴落とされ一気に存在感を失う、このようなことがイノベーションのジレンマです。一昔前に世界のトップを走っていた日本の携帯電話が日本国内の顧客に対するチマチマした改善に留まっている間に圧倒的な使いやすさを誇るスマホの登場によって瞬く間に市場を奪われてしまったように。

 

 「しくじり先生」という自分の過去の失敗を語る番組で安田大サーカスのクロちゃんが自分は「努力したら負け」を標榜する甘汁モンスターで、そんな自分のような人をどうにかするには圧倒的恐怖が効果的だと言っていました。凄く笑ってしまった一方、本質も感じました。余裕がある状態で上手くいかないと、言い訳したり、他人や環境のせいにしたり、みたいなことで、映画のタイトルにもありましたが、俺はまだ本気出していないだけ、な残念になってしまいます。もう余裕がない、恐すぎる状況が、何とかしないと!の必死につながります。

 

 作家のヘミングウエイは空腹の時にこそ良い文章が書けるみたいなことを自著「移動祝祭日」で書いていました。ヘミングウエイと併記するのはおこがまし過ぎますが、35才転職限界説なる恐すぎる言葉に恐怖しながら、じゃ40才の自分はどうしたらいいんだ?を感じつつサラリーマンから独立し必死だった頃の私は今より遥かにブログをスラスラ書けていたように思います。収入がない状態で必死に情報を集めながら稼げることを探しまくっていたような状況でしたしたので、書くことは今よりふんだんに頭の中にありました。

 

 名前は出しませんが球界の大物が多額の複数年契約で巨人に移籍するとまーまーに留まってしまうことが多いのは皆さんもお感じになるのではないでしょうか?私も渇望感とか危機感といったものを常に持ち続け、緩まないように自分を保っていきたいと考えています。一時、そういう負のことで自分を追い込むのではなく、自分が成し遂げたいことを、好き、得意で、楽しくやっていこうと考えていました。「楽しむ」は当然、正しいのですが、自分を奮い立たせる乾きも外せないと考えています。実際のところ、楽しさはほんの少しである一方、困難が殆どですので。

 

 何日もたたないと結果が出ないことでも積極的になそうとする、その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。

ケインズ

 


渇望感一杯のローリングストーンズ