例外の一般化[No.65] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
全体を占める、ごく、ごく1部分のことが、まるで全体のことのように、またはめったに起こらないことなんだけど、まるで頻繁に起こっているかのように思わせて自分を優位な方向に持っていこうとすることって結構ある。

例えば、薬のネット販売の問題では、反対する既得権を持った人達が、ものすごく小さなリスクを拡大させて「大変だ!危ない!何とかしないと」って騒ぎ立て、ネットで薬なんか売られた日には副作用とかで多くの死者が出る(正確にはそんなこと言ってなかったと思うけど、それくらいを想像させるくらい大袈裟に僕には聞こえた)じゃないかって感じだった。そういう人たちはできない理由のヒラメキにかけては天下一品だ。もっと、そういった負のエネルギーを正しい方向に向ければいいのに。多分、自分の強みに自信がもてないものだから異常に他者の弱みにばかり気がむくのだろう。

そういった具合に大袈裟に騒ぎ立てることにより、マイナスの部分が誇張され、プラスの部分が過小、もしくは全く評価されない。全くフェアじゃない。

大袈裟に騒ぎ立てるのが上手い「声の大きい人」が、このようなこと言い出すと、それに乗っかってしまう人もそれなりにいて発展のスピードが遅くなる、というか後退することだってある。ワンマン教祖に支配された新興宗教のように。僕はそういったイエスマンにはなりたくない。

正論を吐かせてもらうと、マイナス、プラスの部分が、特定の限られた人達の立場、権威、利益といったものに縛らることなく、公正に評価されるべきだと思う。じゃないと、全体最適はおろか部分最適ですらなく、声が大きい人たちの個人最適になってしまう。

何とか団体の人達のおいしい思いを今まで通り継続するために面倒くさいうえに高いお金払うのってバカバカしい。

僕は副作用の確率が0.1%上昇したとしても、気軽にポチってボタンを押して薬が届く快適な生活を選択する。だって薬局行くまでに車にひかれたら嫌だから。