雨が降った。
庭に出てみると、柘榴(ざくろ)はまだ青く硬い。萼(がく)が乾きかけたまま残っている。その隣の枝には、去年の実がひとつそのままぶら下がっている。通りすがりの鳥たちの冬の食糧になればと、わざと採らずに置いておいたものだ。


冬を越すどころか、腐って真っ黒になったまま、その場所にそのままある。落ちることもできなかった。いちじくはほとんどまだ青く、ひとつだけが紫に熟れて葉の間に隠れている。柿は手のひらに乗せてみると、まだひんやりと硬い。


竹林は雨に濡れて色が濃くなった。私たちがこの家に来る前からある竹林だ。刈ってもすぐにまた伸びてくる。雨後の筍という言葉があるのは伊達ではないと思うほど、雨の多い年はなおさらだ。青竹の間に、黒竹(くろちく)が一本、黒く立っている。

真夏になると、竹の葉がこすれ合ってさらさらと鳴る。その音が子守唄になり、日陰になり、虫を追い払う。家を包むほどに育って、裏の家との間に結界のように立っている。塀のほうが、むしろその内側にある。


田んぼには穂が出ていた。白い花が弾けているのを見て、今年も時季を守ったのだなと思う。
田園と呼ぶにはマンションが近すぎ、街と呼ぶには育っているものが多すぎる。強いて名前をつけるなら、半分だけの田舎、といったところだろうか。ニュータウンが押し寄せてきて、竹林と田んぼの手前で止まった場所。それが私の実家だ。
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安全地帯の玉置浩二、そのソロ曲「田園」を思い出す一日だった。
何もできず、誰も救えない自分をいったん認めたうえで、それでも毎日何かをやっていれば生きていける、と歌う曲。あの「田園」は風景のことではない。崩れた人間がかろうじて掴んだ場所の名前だ。

先の日本滞在では、図書館が閉まる日曜と打ち合わせのある日を除いて、論文の執筆に打ち込んだ。初稿は仕上げた。夫と韓国に戻ってからは、子どもの夏休みに合わせて、家族総出で学びのある旅を組み立てようと骨を折った。それでも、取り残されているような気がする日がある。

先を行って成果を報告していく研究者たちの知らせを見ると気が急くし、実家に帰れば「子どものことだけに集中しなさい」「家のことにもっと気を配りなさい」と言われる。心配から出た言葉だとわかっている。ただその言葉は、私が今やっていることを計算から外したまま届く。やっているのが見えていないらしい。わかっていても、その一言に崩れる。


実家は子どもにとって天国だ。私ができなかった育児を母がしてくれる。まるで私をもう一度育てるように、いや、私にしてくれた以上に穏やかに、子どもに食べさせ、寝かしつけてくれる。ご飯を作る時間と食べさせる時間がまるごと空くぶん、私は後回しにしていた仕事に向かえる。


もっと驚くのは父だ。子どもの頃、勉強しないと私を叱りつけ、邪魔になるからとアイドルのアルバムまで捨てさせたあの人が、孫が宿題を延ばしに延ばしても、叱っている私の立場などお構いなしに「そうかそうか、明日は必ずやろうな」と、孫からやさしく約束を取りつける。ときには、私が子どもを叱ることさえ止めさせる。

やり方は違っても、二人が私にしてくれる精いっぱいの配慮であり、休息をくれているのだとわかっている。


わかっていても、たまには、私にも温かい一言をかけてくれる人が必要になる。
「あんたの言うことはわかる、あんたが正しい、よくやっている」と、なだめてくれる祖父母が、私の味方が必要なのだ。私は子どもに祖父母を与えているけれど、私の分の祖父母は、とうの昔にいなくなってしまった。
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私には怖い数字が三つある。
8、39、64。


家族の誰かがいなくなるということを初めて知ったのは、父方の祖父のときだった。あの方は六十四歳、私は八歳、小学一年生の夏休みだった。そしてそのとき、私の父は三十九歳だった。

それから私は、計算をしながら生きてきた。長い軍隊生活と勤め人生活で体の丈夫でなかった父が、六十四のときに何事もありませんように。娘が小学一年生になるまで、生きていてくれますように、無事でいてくれますように。

そして今、私は三十九歳だ。
迷信のようなものではない。八歳の夏休みに初めて経験した喪失が、数字のかたちで体に残っただけだ。あのとき父が立っていた場所に、今は私が立っている。子どもは一年生で、季節も夏休みだ。

だから、父に心配をかけまいとする。子どもの頃のことでわだかまりが込み上げてきても、飲み込む。恨み言を口にすることより、何事もない一日がもう一日積み重なるほうが、急ぐことになってしまったから。
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夏休みが終わろうとしている。


願うことがあるとすれば、この家が長く続くことだけだ。まだ生きている田園だけれど、あの数字のところで途切れることなく、私の子がもっと味わえるように、末永く続いてほしいという願いだ。