昨晩、歌舞伎座の八月納涼歌舞伎 第三部を観てきました。「舞鶴雪月花」は中村屋の兄弟と子どもたちが率いる踊りの舞台で、そして最後を締めくくったのは坂東玉三郎さんの「雪」。筋書きを読む前は、「舞鶴雪月花」を「舞う鶴が描いた雪、月、そして花」というふうに解釈するのだろうかと少し悩みました。
 


ですが歌舞伎座で売られている筋書きを読んでみると、この演目は1964年、十七代目中村勘三郎の求めで作られた変化舞踊なのだそうです。題名の「舞鶴」は彼が俳句を詠む際に用いていた俳号にちなむもので、もともと中村屋にゆかりの深い作品なのだといいます。春の桜、秋の松虫、冬の雪達磨と三段に分かれ、初演時は十七代目勘三郎がひとりで三役をすべて演じ、幼い頃の十八代目勘三郎(当時の勘九郎)が松虫の子を務めたとのことです。セリフのない舞踊劇、マイムに近い舞台をまるごと観るのは私にとって初めての経験でした。
 


歌舞伎座という空間が持つオーラは、他では代えがたいものです。東京には歌舞伎を観られる劇場がいくつもありますが、歌舞伎座が特別な理由があります。長く銀座の同じ場所を守り続けてきた立地、幾度もの改修を経ながらも元の意匠を大きく崩さず、伝統と現代を同時にまとった建築。撮影も録音も厳しく禁じられ、ミュージカルのようにカーテンコールで写真を許す文化もないからこそ、ただその瞬間だけに集中することになります。
 

あの日、あの場所でなければ二度と会えない人々が生む一期一会の神秘。自宅には歌舞伎のDVDもありますし、中村屋のYouTubeで稽古や準備の様子もよく見ていますが、劇場で味わうあの感動と没入感には、何をもってしても敵いません
 


世襲の役者さんたちがそれぞれの個性と得意技で、自分の役どころのアイデンティティを確かめる場だったとすれば、玉三郎さんはまったく違いました。舞台装置は驚くほど簡素でした。派手なスポットライトの代わりに左右に置かれた二本の燭台が柔らかな間接光を落とし、背景は屏風一枚だけ。
 
それでも映画「国宝」で目にしたような圧倒的な存在感を、玉三郎さんはかすかな表情の変化と抑制された所作だけで舞台全体を重々しく満たしながら放っていました。客席全体が咳ひとつせず息を潜め、花道に近い席で私は、玉三郎さんの呼吸を整える表情、かすかな震えのひとつひとつに感情移入していく自分を感じました。
 
写真も残せず、今この場でしか観られないという事実が、没入感をさらに何倍にも押し上げました。華やかな装置も複製の手段もなく、ただ役者の芸だけで空間を満たす。最小限の動きの中にこそ、芸術性は宿るのだと思い知らされました。
 
勘九郎さんのとぼけた味わいとユーモアは、父・勘三郎さんとはまた違う色合いでした。体格も醸し出す雰囲気も異なりますが、世襲として受け継がれてきた家の気風は確かに感じられました。どちらが優れているかを語れるようなものではありません。ただ、一番楽しく拝見した舞台でした。勘三郎さんの実演は拝見したことがありませんが、中村屋の映像記録で接してきた印象とはまた違う、観客の笑いを一手に引き受ける独自の存在感がありました。
 
勘太郎さんと長三郎さんは、七之助さんの桜満開の春の舞台に続いて登場しました。背景は満月の夜、草が生い茂る野原へと変わり、舞台中央では長三郎さんが物語をつないでいきました。そこへ、誰もいなかった花道の上に、兄の勘太郎さんが突然せり上がってきました。近くで見た勘太郎さんの風格は父・勘九郎さんに劣らず、横顔や微細な表情には同世代の役者、高麗屋の市川染五郎さんが、所作には叔父・七之助さんの流麗さが重なって見えました。長三郎さんはまだあどけなく丸みのある顔立ちですが、成長とともに自分だけの持ち味を見つけていく先が楽しみに思えました。
 
世襲と非世襲、二つの系譜の役者さんたちを同じ舞台で見られた夜でした。伝統を継いでいく責任感と、長い研鑽だけが生み出せる特別さ。どちらも甲乙つけられるものではなく、ただ両方に背筋が伸びる思いでした。
 
文化の違いもあるでしょうが、韓国には日本のように百年以上続く家業や世襲芸術の伝統があまりありません。子どもにだけは違う人生を歩んでほしいという親心、教育熱、そして芸能者を低く見た身分制社会の名残が重なった結果かもしれません。歌舞伎ほどに韓国の伝統唱劇と比べてみたくても、なかなか難しいのはそのためです。
 
ですが、この文章で本来いちばん先に触れるべきだった役者の話を、私はまだ書いていませんでした。
 
実は昨晩、舞台で最初にオープニングを務めたのは七之助さんでした。季節が春から始まるように、春を告げる花魁のような澄まし顔と日本の芸者舞、そして東南アジアの舞踊で見るような手首と指のスナップで、華やかな技巧を紡ぎ出していました。個人的な推しはやっぱり七之助さんです。顔立ちそのものが、生きた浮世絵のようでした。
 
この文章で七之助さんを後回しにしたのには理由があります。今日は国会図書館に行かなければなりませんでした。出てくる道すがら、3年前の結婚記念日に家族で歩いた日本の皇居と丸の内の道が目に入り、足を止めずにはいられないほど、もう少し見つめて昔の記憶をたどりたくなって、皇居が遠くに見えるカフェに腰を落ち着け、しばらく座って古い写真を探し、昨日のことを整理しては、また気持ちを立て直すということを何度も繰り返していました。
 
結婚12年目を前にしたこの頃、現場仕事で国内外への出張が多い夫とは、短ければ一日、数日会えない日常とともに、数か月会えないこともあります。その前で一人でも凛として過ごす姿は、外から見れば頼もしく映るかもしれませんが、頼らないように、駄々をこねないようにと自分の仕事に没頭するこの淡々とした感じは本当によいことなのか、現代社会が生んだ日常でありもうひとつの家族の形だと思い直しても、強くなる分だけ少しずつ鈍くなり、無口になっていく自分に気づきます。胸は締めつけられるのに涙は出てこず、代わりに猪突猛進で向かっていっては夫に「まあまあ」となだめられる、自分の中の将軍のような気質を見つけてしまいます。
 
七之助さんの演技を見ながら、そんなことを考えました。演技は演技に過ぎないけれど、あれこそ男性が描く女性像、妻像なのではないかという思いが浮かびました。舞台の上で華やかに蘇ったあの優しさや艶っぽさと、それを忘れて久しい今の自分との間には、確かな隔たりがあることに気づかされます。
 
これくらい、夫婦の趣味も違います。夫は私と一緒にランニングをしたいと言い、私は芝居や映画を観るほうが好きです。娘は娘で、一緒にゲームをしたり、何かを作ったり、体験活動をしてほしいと言います。娘に寄り添って子どもらしい時間を守ってあげたいのも、健康を考えて一緒に走ってあげたいのも本心なのですが、なかなか思うようにはいきません。
 
3、4日前、二日間42度を記録したという知らせが届きました。71歳になる実家の父も、人生でこんな数字は初めてだと言います。私自身も、インド旅行で経験した数字を韓国で味わうことになるとは思いませんでした。こんな日にランニングをするなんて正気の沙汰ではないという気がします。日が沈んでも嫌なものは嫌です。走るのは、また今度。
 
※翻訳ツールを使用し、日韓で相互チェックのうえ掲載しています。読みにくい点はご容赦ください。

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