サンチャペル雑記帳 -13ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

実際に、目に見えるか見えないかということは、とても大事なことです。私達の日頃の生活は、目に見える世界の事実によって成り立っています。

そうでなければ、外を歩くこともできませんし、暗闇の中では、仕事もできません。

信仰があるというのは、目に見えない神が、この世界を、言葉によって創造されたこと、そして、目に見えないことを、求めて生きることが、できるようになります。

この目で見たら信じるというのは、信仰ではありません。トマスが、良い例ですね。

私達は、目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ、心を注ぎます。
神様は、ご自分の約束されたことを、決して忘れません。私達、日々の生活の中で、忘れてしまうので、決意と思い起こす記念の礼拝、子供に伝え聞かせる必要があります。



その事を、誰よりも神様が知っておられます。また、それを忘れ、そこから離れてしまうこともです。



その上で、神様は一方的な恵みの契約をたてて下さいました。それが、カルバリーの十字架です。



物語を、ユダヤ人は、子孫に代々、伝えます。日本人にも、必要なことではないでしょうか。
私達は、イエス様を信じて、すぐに従う人に、お会いした事があるかもしれません。私は、何度か、そういう方にお会いして、羨ましいと思った事がありました。

事実、信仰によって生きる事が、簡単ではないからです。しかし、義人は、信仰によって生きると聖書は言っています。

信仰によって死ぬとは、言ってません。なぜなら、信仰は死とは無縁のものであるどころか、そこから勝利し、今や、生きる事が私達の1つの証であり、使命であるからです。

今日も、信仰によって生きましょう。義人は、信仰によって、生きます!
いま、日本のサッカーの応援に心を踊らせる人が、けっこう、いるのではないでしょうか?

全てを、勝ち負けにしてはいけないと思うのですが、やはり勝負には、緊張感と勝ちたいという強い心があるところに、1つの興奮を覚えることも事実です。
 
私達が、圧倒的な勝利者であると聖書は、宣言していますが、実際の生活で敗北感を味わうことがあります。

心が、主にあるときと、そうでないときでは、どうでしょうか?

1つ、私達の勝利は、どこにあるかを考えて生活しても、良いかもしれません。

確かに、冒険や1歩踏み出すということも、勝負にはありますが、既に勝ち戦と信じるなら、前に進めます。
永遠の命と、言いますと、死後の世界と理解される事が、多いようです。聖書は、なんと言っているでしょうか?

人の心には、永遠への思いが与えられています。永遠の命とは、父なる神とイエス・キリストを、全人格的に、知ることです。

死後に、永遠の命が与えられるのではありません。イエス・キリストを、信じるなら、死から命へ移り、いま、永遠の命を得るのです。

そして、神様は、永遠の愛で、あなたを愛しています。