サンチャペル雑記帳 -12ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

私達の存在の理由を、創造者である神様に、見出ださなければ、与えられた生別を喜ぶことは、難しくなるかもしれません。

つまり男女の関係において愛ではなく、力で支配する関係になっていき、そこには、喜びがなくなっていく事が、容易に想像できます。

神様にある女性は、弱いどころか、美しく強いのです。助け手…。助ける側が強くなければ、助けられません。男性が創造された後に、女性が創造されました。完成品は、後になるほど、性能が良くなります。

そして、神様に用いられている女性によって、宣教の働きは進み、キリストの体なる教会が形成されています。感謝です。
イスラエルが、正に、主の愛する群れで、あったことは、事実です。神様は、彼等の必要を知って、ある時は預言者を立てまた、ある時は、士師達を立てました。

彼等は、また、戦うリーダーであったということですが、それは、イスラエルに、学ばすためでした。私達、キリスト者としての歩みにも確かに、戦いがあり、教会にもあります。

戦いの方法は、多様化しましたが、祈り、信仰・み言葉、原理原則は、変わりません。血肉に対する戦いでは、ありません。

そして、リーダも戦い、キリストの体なる教会も、戦いを、教わっていくのです。
ヨシュアが召されて、主の業を知らない世代が台頭してきました。私達は、イエス様が、自分の個人的な救い主であることを、大切にしていると思います。

神様は、天地創造から始まり、出エジプトを経て、ダビデがゴリアテを倒し、イエスが馬小屋で生まれ、復活したイエスが、弟子逹と湖畔を歩まれた、その一つ一つの背後に、目に見えない方が、おられることも、また、信仰の目によって、見るのです。
死んでいる状態とは、いったいどんな状態でしょう?例えば、冷たいとか硬いとか。

聖書は、アベルが信仰によって、まだ、語っていると、言っています。何を、でしょうか?そのあとに、エノクとノア、と、続いています。

神様が、認めた、神様に、喜ばれていた、神様ご自身を求めている者逹と聖書に書いてあります。

私達も今日、自分の中に気づきを与えられたなら、主に祈り、心を主に向けていきましょう。

本当に、私達が求めている報いは、神様に、報われ、愛されていることなのですから。
私達は、色々なものに、弱いですね。甘いものに弱い人、乗り物に弱い人、数字に弱い人まで。

それぞれを強くすることが、できると良いのですが、全てを克服できるかと言うと、なかなか難しいです。

私達の意志も弱さを覚えます。この類いの弱さを、どうやって訓練したら良いものかと思います。

そもそも、強い人というのは、何かを強く信じている人の事を、言うのかもしれません。

すべての人が、努力の人やイチローに、なれるわけではありませんが、小さなことでも、強く信じる事ができたら、自分が強くなるというより、作り変えられるのではないでしょうか。

自分の意志の弱さに、気づいた人は、スタート地点にいます。