サンチャペル雑記帳 -11ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

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今日は、小田原子供の森わんぱくランドに、弁当持参で、教会の子供達を連れて、行きました。

中学生が、小学生の面倒を見てくれたり、中学生と、小学生の混合バンドが、なかなか、盛り上がりを見せて、楽しくなってきました。

最近の教会学校は、小学生が、幼稚園児に紙芝居を使い、聖書の物語を伝えています。

共同牧会者の子供達は、クリスチャン4代目です。キリスト信仰は、世代を越えて、継承されていきます。

お金や物を、残すのも必要かもしれません。しかし、信仰の遺産やキリスト者としての生きざまを、残して地上を、去ることが、最も大切なように、思います。
私達が、下す決断は小さいことには、あたかも信仰的に決断を下したかのように、思います。しかし、危機に直面した時に、信仰と信念の違いが顕になります。 信念は、たいてい根拠のない思い込みの強いものです。更に、この信念が、強くなると執念にまで、発展し、かなりややこしい状態になってしまいます。 信仰には、聖書の言葉など、根拠となる裏付けがあります。信仰自体に力があるというより、信仰の対象である全知全能の神様に力があるのです。 祈りも、独り言や念力と異なります。信仰の創始者であり、完成者である神様が、祈りに答えてくださることが、素晴らしいのです。 生まれながらの人間は、決断する時に、打算や損得勘定が、働き、絶対に自分が損をしないように決断し、確実でないことは、正しくないと考えがちです。 目に見えて、完全に確実ならば、信仰は必要ありません。聖書には、確かにそう書いてある。でも、私の場合は…現実は…。 こう言ってしまうと…私も、言ったことあります。自分は神様よりも、現実や常識を知っていると、考えているのです。神様よりも、私達が、賢いことはあり得ないと思います。 信仰によって歩む者・神様の言葉に、よって生きる者でありたいですね。
私達が、根本的に、また、完全に死んでしまうなら、信仰とか宗教は意味のないものであり、死に対してなんの力もないどころか、この地上での生涯が全てであって、今をどう楽しく生きるか、どのように自己実現するか?人から、どうやって認めらるか。

弱肉強食が、当たり前となり、偏差値や貧富の差、社会的立場が、幸福を決めると考えるように、なるのでは、ないでしょうか?

私達に、与えられた信仰が、死を乗り越えるのでなければ、復活の力もなく、希望も持てません。主イエス・キリストは、本当に、よみがえりました❗死は、勝利にのまれてしまったのです❗
プロファイリングという言葉があります。全くの第3者から見て、情報を事実と数字や行動によって判断するというものです。 私達が、信じている事柄によって行動は、変わっていきます。しかしながら、目に見える部分は、実は騙されやすいのです。 自分自身を吟味するため、聖書のみ言葉に照らし、自分に適用することが、大切です。 信仰は客観的に観測できますが、極めて主観的な側面もあります。 もっとも、確かなのは、あなたをよく知る神様との関係と、実際に、神様を意識している時間がどれくらいあるかが、大事です。
天を思って、地上を歩く。私達は、地域で行動するという言葉を聞きますが、信仰者の視点と思いは天にあります。 それを、妨げるのが、現実の生活です。異なる視点では、現実の生活が、天を思う機会を与えてくれるとも、言えます。 今日、私達の心を占めているあらゆる問題。復活のイエス様を、通して見ることが、可能でしょうか? 約束のものは、天にあること。また、天を思って、地上を歩くことを、力強く求めて、生きていきましょう❗