サンチャペル雑記帳 -10ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

天国は、あるのか?はたまた、ないのか?わからないと、答えるケースも多々あります。

聖書によれば、それこそ、天国を待望する者の心が信仰を勇気へと変えているのがわかります。

つまり、私達の質問は天国があるかないかではなく、天国を待望しているか否か。

私達が行くところと、言うよりも、天の御国は近づいて来る!と、いうのが、私達の信仰の望んでいるところです。

聖書のあるところ地獄への門は閉ざされ、天国への道が開かれ、パラダイスが回復します。

聖書は、常に私達に向かって近づいている書物とも、言えるでしょう。
ギデオンは、用心深い戦士として表現されています。実際、彼の取った行動が、そう思わせるのですが、彼が主の戦いに参加している事、また、上に立つものとして、戦いの中で、リーダーとして立てられている事を、強く自覚していきます。

私達、一人一人もこの時代のこの国、そして、この町のこの場所に遣わされているという自覚を強めることは、とても大切です。

私達が、いま、生きているのには、意味があります。与えられたその場所で、しっかりと主を意識し、神にある人生を、自覚しましょう。
天国も地獄も、証明できないと言われますが、多くの人の関心事であるかもしれません。それよりも、一人一人の人生に意味があるのか、はたまた、無いのか?と、いう質問の方が、より関心が強まるようです。

イエス様を、信じるという事は、信仰によって生きるチャンスです。目に見えるものではなく、目に見えないものに、心を注ぐこと。

神様、どこに行けばよいでしょうか?と、問うよりも、神様が、行けとおっしゃったら、地の果てまで行くのが、信仰によって生きることではないでしょうか?

神様、どうしたらよいでしょう?と、問うのではなく、神様が、これをしなさいと、示したら、実行に移すのが、信仰によって歩むことのように、思います。

あなたは、何によって歩み、生きていきますか?
私達は、ほぼ、絶え間なく、選択を迫られています。実際、善悪の木の実を、取って食べた、私達人間は、何が善で何が悪かを常に自分で決めるという自由と責任を持ったのです。 しかし、それは神様に反抗するという形により、持ちました。結果として、私達は常に自分勝手且つ自己中心的な選択をする傾向になりました。 本当に、正しい選択をしたいなら、神様の方法、み言葉に聴く神様が喜ぶ方を選ぶ力を信じなければできないのです。 素晴らしいことに、私達は、救い主イエス・キリストを信じるという、最も大切な、永遠に繋がる選択を神様によって、したことです。
私達は、不断に自分の耳で聞くことよりも、聞き捨てていることを、ご存知でしょうか?本当の事とか真実に近いほど、実は回避して聞かないようにしているかもしれません。 私達は、滅びに向かっていたと言われると、反発心を感じたり、不快になり、事実を無視する傾向があります。しかし、この習慣を直さないと、いざという時に、助けを求めることが難しくなります。 言葉を、聞いた時に、それが誰のどんな言葉かを、はっきりと知る必要があります。聖書は誰のどんな言葉であるかを知ると、自発的に読む気持ちが起きます。そして、私達の向かう方向性が見えてきます。