愛知県は世界に誇るべきものづくりの拠点であります。ものづくりの技術は世界からも注目を浴びている事は皆様もご承知の通りだと思います。

 これからはこうした技術開発も自然との共生を視野に入れた開発を行っていかなければなりません。今、世界は非常に難しい局面にさしかかっていると考えられます。と申しますのは、西洋文化によって発展してきた社会に生きている人達と、グローバル化によってこれから発展する事を期待している人達が居るという事です。

 環境問題の話になりますと、両者の対話は成立しないでしょう。隣国の中国はものすごい勢いで発展していますし、地下資源を沢山持っているのロシアはこれから売ってアメリカ以上の富を持った国になろうとしています。

 アフリカ大陸の人々も地下資源の採掘権利を高く売って金に換えるか、又どこの国と提携する事で発展出来るのかと言う時に、CO2削減問題が受け入れられるのか。サミット当事国である日本の態度も各国の注目の的になる事はあきらかではないかと思われます。しかし、今のような発展を地球はイエスと言っているでしょうか。今、世界では至る所で異変が起きています。その事を見ますと地球はノーと言っているとしか思えません。一部の学者は寒冷期と温暖期は過去にも周期によって繰り返し来ているから温暖化になる事は良いことだなどと言っていますが、私には分かりませんが、どの意見に賛成するかと言いますと、ある人が言っている事ではないでしょうか。

 フランス人劇作家および外交官で1921~27年で駐日フランス大使として赴任された事があるポール・クローデル氏とポール・ヴァレリイ氏が対話の中で「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ。」と述べたそうです。ヨーロッパ人から戦前でなおかつ今のように環境問題が大きな問題になっていない時代に、こんな表現の仕方になったのか。当時の産業革命を起こした先進国で今の中国、北京のスモッグ状態があったのでしょうか。しかし、当時の日本の農村は田んぼの土手は草がきれいに刈り取られ、稲もきちっと並んで植えられている。農村、家の周りには庭が小さくても作られて手入れされている光景は自然と共生して生きている人間のあるべき姿ではないのかと思うのは、自然の事と感じます。

 当時の日本人は目上に対する挨拶はきちっとしていましたからヨーロッパの人から見たら何と高貴な民族と目に映ったのでしょうか。今の私たちは、その時代の高貴な人格を取り戻すと同時にその時代の自然との共生も取り戻さなければと考える次第です。


 新築住宅を建築している所を見ると、完成が近くなるにつれ、冷暖房気を1,2階に取り付けている光景をよく見ます時、取り付けなくても快適に住める家を早く建てる事が出来るようにならなければと思う毎日です。

 私の子供の頃を思い出しますと、岐阜県恵那市で育ちましたが、冬は-5度、夏は30度くらいで冬になりますと、12月末には必ず雪が降り30センチ位積もる日が何日もあった事を覚えています。家の中で暖房は囲炉裏でした。家は木造で屋根は茅葺(カヤブキ)で壁は土塗り、建具は障子で雨戸は板戸、出入口には馬を土間の馬家から連れ出すため、大きな木戸で作っていました。

 冬、囲炉裏の火を焚くまでは寒いのですが、焚き始めますと居間がすぐ暖かくなり、親たちはいつも春、仕事が始まると必要な道具や備品の整備を大きな土間で行っていました。

 そんな生活の中でも、そんなに不自由を感じた事は無いと思います。夏になりますと、暑い日でも大きな木の陰にはいりますと涼しく、山から出て来る湧水を飲んで遊んでいました。夜になると夏でも涼しくなり、朝方になると毛布をかぶって寝ないと少し寒いぐらいでした。

 環境問題を考えますと、昔はいかに環境に優しい生活をしていた事かとおもいます。しかし、現在は都市も田舎も同じような生活をしていますので、もう一度環境を第一に考えた生活様式を一変させなければ、この地球上で人間が住む事が出来なくなる日も遠くないと、地球は人間に訴えかけています。

 そこで私達は家を建てるとき、次の点について考えて建築しなければと思い、取り組んでいます。

 まず地質、地形、方位、風の流れ、雨水の流れ。日射、色彩。生物・微生物が住めるように人は健康で快適に生活出来ること。もう一方のことも考えなければなりません。

環境問題であります。そう言いますと当然、冷暖房設備は自然エネルギーを利用する設備である事(太陽光・地熱など)生活水は最低30%の削減、電磁波や有害物質からの保護などを考えた設計をしなければならないと考えています。この続きは次回で。


戦後日本は敗戦の中から立ち上がってきました。戦時中、東京・名古屋・大阪は爆撃によって、長崎・広島は原子爆弾によって家は焼かれ焼け野原になり、そこらからの復興でした。人は居るが住む所がない。

家を建てたいが材木がない。柱が9センチ角の材料を使って建っている家は立派な方の家でした。他は雑な家ばかりでした。

昭和56年以前までの建てた家は耐震性が悪く補強をしなければなりませんが、それ以降に建てられた家は建築基準も厳しくなり、地震にも耐える家になりましたし、所得も良くなってきましたので、立派な家が建てられるようになりました。

 しかし一方で核家族が定着し、子供が大きくなると家を出て行き、行った先で新しい家を作り、今まで住んでいた家で両親と一緒に住もうという子供が少なくなりました。大きな家は住みにくいと両親がまた家を解体し少し小さな家を建てて住んだり、自分たちはアパートに引越し、子供に土地を譲り、今まで建っていた家を解体し新しい家を建てて住む事が現代社会の中では当たり前のようになっています。

 ヨーロッパ人も大きな戦禍を受けましたが、戦争で壊された家や公共の建物は歴史に忠実に復元し、歴史や伝統文化を大切に受け継いで行くという考え方をしています。要するに建築物は社会資本として考えている。住み継がれていくのが当たり前という考え方である。

  私が6年前にフランス・アルザスのコルマールという町を訪れた時は、開発公社で理事長をされていたアンドレア・クラインさんが

「私の家は何年経過してると思いますか」

と尋ねられた時、私は

100年くらいですか?」

と答えますと

「ノンノン、150年ですよ。」

と誇らしげに私の顔を見てニッコリと言われたのを覚えています。

そして、アルザスでは家を解体しなければならない時、解体したときに出て来る柱・梁の材料を州がストックしていて建物を建替えしたい人に使用できるものを使って下さいと言って頂けるようになっていると聞いてビックリしました。有効利用しているのだと思います。

 しかし、私達も家は長く住む事の出来る家作りをしていかなければなりません。フランス人のように私の代は構造のしっかりした家を作り、その子供の代で屋根・外壁をやり替え、その子供が内部をやり直すといった具合で三代でしっかりとした家になる、その家を次の代がまた住む、といった具合はいかがなものか。木材は200年~300年は十分もちますから。つづきはまたの機会に