私が育った所は、岐阜県恵那市です。旬の山菜や畑で作る野菜を当たり前のように、子供の頃食べて育ってきましたので、春になると何処に行けばワラビ、ゼンマイ、コゴミ、を取る事を知っていました。春になると、朝霧が下りた時のホウレン草や、春菜はとても甘くて、美味しかった。今でも私は4月の終りから5月の始めにかけて、友人と毎年ワラビ、コゴミを取りに山に行っています。取ってきて食べますと、春の季節感を感じずにはいられません。現在私どもを取り巻く環境は40年前に比べて、なんと変わった事か。野菜類をみても、日本で生産している農産物は30パーセントぐらいで、外国から季節を問わず輸入されています。子供たちは何処で野菜が作られているか、いつが旬なのか、どのようなツルや茎に実っているかも知らない若者がなんと多くなった事か。、また山菜ともなると町にいる若者は知らない事が当然のように、そんなもの食べるのかという言う若者を何と思いやれば良いのか、考えさせられる昨今である。つい最近中国から餃子に農薬が混入していて、輸入が出来なくなり、家庭や学校給食で食べる事が出来ず困っているという報道をテレビで見た時に食を外国に依存している事が多いことに驚かされた。国内の一次産業が40年前の日本の農業のように、自給率75パーセントまでの復活をしなければ日本の将来が無いのではないかと考えます。現在の日本の農業は石油がなければ成り立ちません。機械化されているので、機械は油がなければ耕作することも出来ないし、肥料も石油から作られています。堆肥を作ればと考えても、堆肥にする材料が十分ではありませんし、確保されるシステムが確立されていませんので、そのシステム作りもこれからです。早く取り掛からないと、私たちが食べる食料がなくなります。安心して食べるためには農業者、漁業者、林業者と手を組まなければ実現しません。

動物でも子を産めば親「になる」。親と言われるような親「となる」のは難しい。日本語は複雑である。人間として、この現世に生まれてきた時は、過去の一族から、必ず幸せになるのだと押し出されてきたのではないでしょうか。そうして生まれてきた人間が、なぜ親になるべきではない親になり、子供を虐待したり、子供を殺したり、他人を殺したりする事件が、なぜこうまで相次いで起きるのか、この「になる」と「となる」は同じような意味のようであるが、大きな違いがある事に気が付く。子供が生まれる事で誰もが親「になる」が、子供から信頼や尊敬される事で親「となる」事は大変な違いがある。今でも動物は自分が生んだ子供はどんな事があっても守ろうとするのに、人間はなぜここまでして人の命を軽く見るようにされてしまったのか、少し角度を変えて政治を同列で考えてはいけないかもしれませんが、今の日本の政治は何か似ているような気がしてならない。今の首相をしている人たちは国民の親「となって」いるが、一千万人のネット難民を作ったり、1700万人の年収200万円以下の人たちを作ったり、75歳以上の人たちも安心した生活が送れないような制度を作ったりで大変な事ばかり起こしている。私たち国民がアメリカのように一人の大統領を選ぶ選挙で選んだ事で起きた事はしょうがないが、親を子供は選べないシステムと同じだからどうしようもない。人間は完全無欠な人が上に立たなければと言いたいのではないが、人の痛みが少しは分かる人でないと、どうにもならない。私たちも地域で人の役に立ちたいと願っています。自分の事は自分でなかなか分からないものです。どうか何か気が付く事がありましたら、何なりと言って頂きたいと思います。


自民党福田内閣は国会で200年住宅を建てようと演説したが何の事か分かりにくかった。実際法案の事となると「長期優良型住宅の普及と促進に関する法律」という事で今でも私どもが取り組んでいる内容を、また大手に流そうとしています。私たちは15年も前から中部匠の会を作り100年住宅を作る運動を行って来ました。その運動を行っている時には何の応援もしないで、今になって国土交通省は長持ちする住宅の開発などモデル事業への補助を出すという事はどういう事か。

 今、地域で一生懸命建てている地場の工務店にどのような建物を作っている図面を出させ、基準に合えば認定書を出せば良いではないか。

 また新たに130億の予算をどこに使うのか。図面を書いて提出する事に予算を付けてくれた方が具体性があって良いではないか。また新築する住宅は基準に合わなければ作らせなければ良いし、建てる施主には50年ローンに補助をだせば良いではないでしょうか。

 朝日新聞にこんな記事が出ていました。欧米では新築の家の解体がされるまでの期間はアメリカ55年、イギリス77年、日本30年と出ていました。私がフランス、スウェーデンに行った時、向こうの方と建築について話したら私たちは住宅は100年から150年住んでいると言っていました。日本も昔の家は100年経過する家はたくさんありました。

 昭和に入ってから人口が4500万人から今では12500万人になった事で新しく安価な家を建てなければならなかった事情もあったわけです。それが今でも続けている事がおかしいわけです。その意味からすれば、国民に呼びかける事は良いと思いますが、それなら今現在取り組んでいる地場の工務店を応援する事でありハウスメーカーのやり方を注意する事ではないだろうか。

私たちが地場の木を使って100年もつ家を作ろうとキャッチフレーズで行えば、ハウスメーカーは鉄骨や鉄筋コンクリートで丈夫な家だから地震にも強いから絶対大丈夫です、と言っている。では環境については、人間の体については、考えると優しいと言えるだろうか。自然に対しては山の事は何も考えなくても良いのだろうか、と思う次第です。

もう住宅は大量生産し建てる時代は終わったのではないでしょうか。50年後の日本の人口は約半分の6500万人くらいまでになると人口統計局が言っているのですから、流通しても良い家作りをするためには、安全な家作りは当然の事とし、断熱性が高くて環境を考えたら山の木を使って、100年は住む事の出来る家作りを考え、自然エネルギーだけで住む事をライフワークとする考え方を国民がする運動こそが、これからの課題かと考えます。