戦後日本は敗戦の中から立ち上がってきました。戦時中、東京・名古屋・大阪は爆撃によって、長崎・広島は原子爆弾によって家は焼かれ焼け野原になり、そこらからの復興でした。人は居るが住む所がない。

家を建てたいが材木がない。柱が9センチ角の材料を使って建っている家は立派な方の家でした。他は雑な家ばかりでした。

昭和56年以前までの建てた家は耐震性が悪く補強をしなければなりませんが、それ以降に建てられた家は建築基準も厳しくなり、地震にも耐える家になりましたし、所得も良くなってきましたので、立派な家が建てられるようになりました。

 しかし一方で核家族が定着し、子供が大きくなると家を出て行き、行った先で新しい家を作り、今まで住んでいた家で両親と一緒に住もうという子供が少なくなりました。大きな家は住みにくいと両親がまた家を解体し少し小さな家を建てて住んだり、自分たちはアパートに引越し、子供に土地を譲り、今まで建っていた家を解体し新しい家を建てて住む事が現代社会の中では当たり前のようになっています。

 ヨーロッパ人も大きな戦禍を受けましたが、戦争で壊された家や公共の建物は歴史に忠実に復元し、歴史や伝統文化を大切に受け継いで行くという考え方をしています。要するに建築物は社会資本として考えている。住み継がれていくのが当たり前という考え方である。

  私が6年前にフランス・アルザスのコルマールという町を訪れた時は、開発公社で理事長をされていたアンドレア・クラインさんが

「私の家は何年経過してると思いますか」

と尋ねられた時、私は

100年くらいですか?」

と答えますと

「ノンノン、150年ですよ。」

と誇らしげに私の顔を見てニッコリと言われたのを覚えています。

そして、アルザスでは家を解体しなければならない時、解体したときに出て来る柱・梁の材料を州がストックしていて建物を建替えしたい人に使用できるものを使って下さいと言って頂けるようになっていると聞いてビックリしました。有効利用しているのだと思います。

 しかし、私達も家は長く住む事の出来る家作りをしていかなければなりません。フランス人のように私の代は構造のしっかりした家を作り、その子供の代で屋根・外壁をやり替え、その子供が内部をやり直すといった具合で三代でしっかりとした家になる、その家を次の代がまた住む、といった具合はいかがなものか。木材は200年~300年は十分もちますから。つづきはまたの機会に