牧童の溜息 -125ページ目

嵐の後で


Aさんから早くも振られてしまったようだ。

活きがいい鯵を切れない包丁でさばこうとして
自分の指を「ゴリっ」と切ってしまったような気分になった。
傷を早く癒やしてくれるというバンドエイドの持ち合わせもなく
文字を入力する気力もなく、悶々としていた。

眠れない夜になりそうだった。

そんな時、takさんから「嵐のような人ですね」とのコメントをいただいた。
台風一過の秋晴れのように、マイナスイオンを思いっきり吸い込み、僕は眠った。


祭囃子が聞こえる。


「無感動に祭りの中を通り抜ける」牧童

祭囃子が聞こえている。
僕は無感動に、誰も待ってはいない家路を急ぐ。
急ぐ理由もないのに、急ぐ。

僕は祭りが好きだった。
祭囃子が聞こえてくると、自然に心がウキウキとしてきた。
祭囃子に向かって走り出していたのに。
子供の頃も、大人になってからも。

いつからかな。
無感動になってしまったのは。

○○ちゃんのパパ。○○さんのご主人。
ってゆう名称を手放して自由を得たわけではない。
やはり失ってしまった、と言うのが本音だろう。

行き着く場所を求めて彷徨っているわけでもなく
行き着く場所へと流されているだけだ。

無責任な僕は、端から見れば自由人にも見えるようだ。
だから彷徨ってる今の自分をを嘆いてみても
楽しんでいるように見えるのかもしれない。

他人の不幸が滑稽に見えるように
だから僕も自分の出来の悪さを笑うしかない。


歪んだ花火


「風は地に天空に咲く大花火」牧童

天空に大きな花火が咲いていた。
花びらが頭上に舞い落ちてくるように火は散り、消えて行く。

今年で四年目。
君と見上げる花火。

去年の夏、二人で見る最後の花火になるはずだった。
僕たちは花火を見ながら泣いていた。

あれから一年
これから一年

四季が時の流れを教えてくれる。

僕は群衆が嫌いだ。
だから人込みは苦手。
花火会場へ流れて行く群衆にも歓びは見出せず、まるでガス室に向うアウシュビッツのようだとつぶやきながら歩いている。
花火のショウが始まってしまえば地に蠢く群衆が気にならなくなる。

地を這う僕は地の風に包まれ、見上げる天空はまるで無風状態のように、風に揺れることもなく花火が咲いた。

僕は真ん丸、シンメトリーの大きい花火が好きなのに最近、ハート型とかシンメトリーではない花火が多くなってきた。
花火師たちは苦労を重ね、わざわざ失敗作を作り出しているようだ。