8月2日、私は新潟県長岡市におりました。
この日は、長岡大花火大会の日。花火大会のコンセプトに惹かれたという友人が、一緒に行こうと誘ってくれました。
人混みは苦手。最初はあまり気乗りがしなかったけれど、長岡花火大会のコンセプトを友人から聞くにつれて、とにかく行ってみたい・・・という想いが次第に強くなってきました。
この日は、長岡大花火大会の日。花火大会のコンセプトに惹かれたという友人が、一緒に行こうと誘ってくれました。
人混みは苦手。最初はあまり気乗りがしなかったけれど、長岡花火大会のコンセプトを友人から聞くにつれて、とにかく行ってみたい・・・という想いが次第に強くなってきました。
(「長岡花火」制作について・・・より引用)
昭和20年8月1日午後10時30分、米軍の爆撃を受けた長岡の空は赤く染まり、街は一夜にして灰塵と化し、1,470余名の命が奪われました。
その二年後、地獄の底から立ち上がった市民は、戦災復興と平和への祈りを込めて、長岡の空に花火を捧げました。戦中の中断を経て、再び「長岡花火」は祈りの花火として復活。喜び、悲しみ、感謝、鎮魂、人々は時代を越え、毎年惜しみなく夜空を染め上げる華麗な一瞬の花々に、さまざまな思いを託し続けてきました。
そして毎年8月1日午後10時30分、64年前に長岡空襲が始まった時刻に合わせて慰霊の花火を打ち上げる。更にいまでは日本三大花火と称されている長岡花火は、毎年8月2日と3日の二日間行われています。長岡大空襲、そして近年の中越大震災、長岡の花火とは、まさに私たち長岡市民の再生と希望の象徴なのです。
祈りの花火か・・・・・・
みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたら
きっと戦争なんか起きなかったんだな
山下清
人間は、みんな平和を願っているはず・・・って思うんだけど・・・なぜでしょうね、今も世界のどこかで争いが起きてる。
不条理さを感じながら、観客の1人の私がおりました。
きっと、私と同じことを感じていた人が居たかもしれない。
花火は撮らないものと、勝手に自分の中で決めていました。
花火は撮るものではなく、観るものだと思っているから。
それにね、私の腕じゃきれいに撮れないから・・・観て楽しむに徹していました。
撮るつもりが無かったので、もちろん三脚も持っていない。
いつの間にか、私はカメラバッグからカメラをごそごそ取り出し、初めて花火をカメラに収めました。
願いを込めて・・・・・祈りを込めて・・・・・