昔、知人が選挙に出た事で手伝いをしたことがあります。
結果は落選でしたが、選挙そのものは大変面白かった。
合宿みたいなもので、全員が当選に向って一丸となります。
手の空いたものからおにぎりを頬張りながら、次の拠点の準備をするのです。
個人演説会場ではそれこそ支持者ばかりですからいやが上にも盛り上がります。
まあ、一つの戦争ごっこの様なもので、興奮する事は間違いありません。

民主党の凋落傾向は誰もが認める所。
あれだけの期待を裏切り続けたのですから。
特に鳩山さんは酷かった、誰もいさめる事が出来なかったのは人材不足を露呈しています。
一番まともな首相が最後に出てきましたが、あれほど煮え湯を飲まされれば信用するのは不可能です。
党首会談でポイントを稼いだだけでは焼け石に水。
一度民主党の名誉回復の大きなチャンスがありました。
震災復興予算のネコババがあらわになった時です。
あの時ネコババ官僚や担当大臣を厳しく処罰していれば、国民の民主党への目が変ったに違いありません。
期待に反して遺憾のコメントを出すだけでおしまい。

阿部さんは威勢が良いですね。
言っている事は可成り国粋的ですが至極まともだと思います。
しかし、この方も「ぼくちゃん止めちゃった」首相の一人。
激務や野党の攻撃が強くなれば同じ事をするものだと思っておいた方が良いのでは。
同じく僕チャンの福田さんはさっさと息子にバトンタッチ、まともではありません。
国の方針を正しく変えても、それを指導する人間がまともでないと国は誤った方向に進む事になります。
今の政治家や官僚にこのまま大きな力を与えてしまうと、大きく日本を間違った方向に進める気がします。
いくら正しく法を改正しても。
つまり、自衛隊を国防軍にするのは正しい事であっても、こんな体たらくの政治家に国防軍を任せられないという事です。

維新は年寄連中と組むべきではなかった。
中途で政策の変更は慎まないとそのぶれは国民にとって恐怖の種となります。
維新の支持率が伸びないのはその為。
しかし、官僚が一番怖いのは橋下さん、喧嘩で勝ち目はないからだそうで、言い訳名人の官僚をさっさと首を切ってしまうので対応が難しいとか。
石原さんなら対応出来ても橋下さんにはねじ伏せられる恐怖を感じている様です。
その意味では維新に頑張って欲しいのですが。
四十年程前石原氏の立候補会場に居ましたが、遥か遠くから見た白い背広姿がかっこ良かった。
中国の跋扈に愛国心を燃え立たせたのは分かりますが、若い人の指導に留めておくだけでも良かったのでは。

みんなの党は一番まとも。
しがらみもなければ金も無い。
言っている事も一番筋が通っています。
TTPに付いては民主党の様に農家への補助金付きで参加するのは間違いだと思います。
外国の訳の分からない農産物なんて食べたくない人も多いし、補助金付けで農業をやっている人には脅威かもしれないけれど不可価値のたっぷり付いた作物を食べたい人も大勢居ます。
安い中国産の農産物の大半はスーパーマーケットから消えました。
日本の農産物を売る機会も増えるのだから、創造的な農家には賛同している人も。

自民党の金魚の糞みたいな公明党は存在価値がありません。
政治と宗教に付いて、宗教団体が政治から迫害を受けるというのは殆ど無く実は逆で、政治が宗教団体から圧力を受ける事が多いのです。
宗教団体は一人の教祖或はそれと同じ力を持った人が支配する団体が殆どです。
つまり、民主主義とは無縁の世界。
そんな団体が政党を作れば教祖的な人の支配下になるのは当然。
創価学会はもう政治から手を引くべきです。

嘉田さんも思いは分かりますが、早まったと思います。
一方小沢さんにとっては消滅の危機を救った天使に見えた事でしょう。
小沢さん自身にも消滅の危険があったのに壊滅から逃れたのは嘉田さんのお陰、少しだけでも残れたのだから。
まだ終わっていないか。
天性の壊し屋もこれで最終章を迎える筈だと踏みますが。

ところで橋下氏も嘉田氏も市長や知事の仕事はどうしているのでしょうか。
地元民に説明する義務があります。

今回の選挙程選ぶ人が難しいことはありません。
後数日悩みそうです。
我が工房の下職さんには色んな職種があります。
蒸し屋さん、糸目筒描き屋さん、ぼかし引き染屋さん、湯伸し屋さん、炊き染め屋さん、黒染め屋さん、型屋さん、刺繍屋さん、地直し屋さん、箔屋さんなど。
それぞれ専門職として能力を発揮して頂いています。

その中に濡れ描きの上手いぼかし引き染の職人さんが居ます。
反物を真っ直ぐ一反張れる工房を持って、本人自身が作家活動もやっている人です。
その人が受けている仕事の大半が別の作家からの以来仕事。
注文主の作家と称する作家は実は染の仕事が出来ないのです。
いわばプロデュースするだけで作家として世間に知られています。
そんな仕事を受け取るのも辛いもの、染の仕事は好きでもこの業界の欺瞞にはほとほと愛想が尽きたと嘆いていました。

以前、着物雑誌の常連であった有名な作家さんは着物の染をしない人でした。
可成りの有名人で大手の問屋筋でも引っ張りだこでしたが、中身が知れ渡っていつの間にか表舞台から消えています。
まだそれに類する人も居るみたいですね。

何時の時代にも人の褌で相撲を取ってあたかも横綱であるかの様な振る舞いをする人が居ます。
能力不足を肩書きでカバーしようとする人も。
その代表が京都の伝統工芸師。
お役所が選ぶ能力が無いものだから、組合等に選定を依頼、役職の人が選ばれたり、永年やっているだけで選ばれるというのだから怪しい限り。
絞り専門の問屋の番頭が選ばれるという変な事は組合推薦の象徴。
染色補正の伝統工芸師に依頼した仕事は見事にへたくそ、依頼する前より悪くなって上がってきました。
それもズッと続けて、誰が伝統工芸師に選んだか責任者出て来いと思った事も。

京都の伝統工芸師の資格は一度全て取り上げるべきです。
そして本当に能力のある人物を選定し直すべきだと思います。
そうでないと京都そのものが疑われる事になりかねません。
日本の企業はどうしたのでしょうか。
シャープが液晶テレビの生産を縮小しなかったり、パナソニックの白物家電がお粗末過ぎたり。
シャープは液晶の専門バカが為せる技、パナソニックは中国生産で人心管理が出来なかった事に寄る粗悪品の乱造。
普通の経営陣なら仕出かす筈の無い失態です。
それぞれ、部門に寄っては優れたものを作っているにも拘らず。
これらは素人でも結果の分かる不始末です。

今回のトンネル事故で天井にぶら下げたコンクリート板がコンクリートに垂直にネジで据え付けられた事。
ネジというものはオスとメスがしっかり固定されていなければなりません。
その上、力のかかる角度が90度である事が要求されます。
垂直なんてアルミの天井板なら分からない事はありません。

確かに優れた接着剤であったに違いありませんが、コンクリートに垂直に打ち込んで支えられる重さは高が知れています。
コンクリートでなく溝の深いネジであれば木材の方がまだましです。
コンクリートにネジを支える力は全く無いからです。
小石や砂をセメントで引っ付けただけで粘力は皆無、その付近の凹凸だけでコンクリートとネジの間の接着剤の粘力を支えていたのです。

高速道路は多くの車が通行、その振動は凄まじいもの。
ゆすって下へ引っこ抜きに掛かっている様なものです。
垂直にネジをコンクリートに打ってそれが長い年月に耐えられる筈はありません。
それは素人でも分かる事。
日曜大工の好きな人なら当り前の常識。
軽い天井板なら分からないではありませんが、それもスーパー接着剤があっての事。
重いコンクリートの板をこんな構造で支えられているトンネルがまだ沢山あると言います。
私の近在には京滋バイパスの宇治トンネルがこの構造だとか。

政府は同じ構造のトンネルを公表すべきです。
こんな怖いシステムでトンネルをつくるのは言語道断。
即刻改修に取りかかって欲しいと思います。
着物の染屋なのでたまには着物もご覧頂きましょうか。
工房は手描き友禅をしているので彩色風景から。
これは既にお客様にお届けした作品で現在進行形ではありません。
進行中のものはまた機会がありましたらご覧頂きます。
こちらは総柄の小紋、貝桶を彩色している所。
京友禅らしい配色を希望されたのでお客様の意向に合わせた柄と配色で進めていました。
染屋の独り言Ⅱ-貝桶彩色
地色は我が工房でも余り染めた事の無いオレンジ系。
東京でも京友禅の本道を行く着物を好まれる方が居られます。
どちらかと言えば工房では珍しい配色、しかしこれほどの重さ、手描きで総付け友禅をするのは近年稀。
仕上がりをとても喜んで頂き、これに勝る総付けの小紋の注文を追加頂きました。
高価な小紋の注文は途絶えたままでしたが、製造直売の価格にも驚かれた様子。

次は我が工房の作品の全ての地染めを担当してくれている引き染め屋さんの作品。
本来引き染め屋ではなく看板には「ぼかし」と銘打ってあるぼかしやさん。
もの凄い技術の持ち主で多分京都一だと思います。
京都一という事は日本一、と言う事は世界一という事にもなりますね。
今回の作品は道行コートで沢山の作品を作ってきたのですが、訪問着でもと言う注文で作ったもの。
壷垂れぼかしです。
染屋の独り言Ⅱ-訪問着:壷垂れぼかし
図案は私が描きましたが、常に感動を与えてくれるぼかしやさんです。
十一月の終り頃になると届くのが喪中欠礼の挨拶状。
還暦を迎えた頃から増えてきました。
友人達の親が死期の時節を迎えたからだろうと思います。

我が両親も既に鬼籍に入っていますが、父親は弱っていたというものの死ぬ事とは無関係な気がしていたのでそれなりにショックでした。
母親は父の死後、直ぐに上顎癌で半年程入院、退院後の廃人状態から立ち直り、顔が歪んでしまったにも拘らず以前より元気に、人前も平気で婦人会等の行事に参加していました。
流石、日本女性、亭主が居なくなると元気になるものだと思ったものです。

それでも、ボケが出始めたので我が家に引き取り、実の親という事で隣の部屋で寝起きして大半の面倒を見る事にしました。
ある夜中、手を叩くので「どうしたんや?」と訊ねると「あんた誰?」
私は「あんたの息子や」と言うと母は「冗談言わんといて、自分の息子位分かるわ」とのたまいます。
ぐずる母を寝かしつけた翌朝、母は「昨日の晩、変な男が来て私の息子やて言いよんね」
大笑いでした。
その後はボケも進みましたが脳出血で植物人間状態に。
危篤と言われた事も何回かありましたが、息子の呼びかけで復帰する事も。
それでも最後は人間の死を荘厳なものとして見せてくれました。
ゆっくりと脈の回数が少しずつ減り体温が下がっていきます。
息子の呼びかけで戻る事も有ったのですが「もう行かせてあげて」というと顔は穏やかに、シミも消え死蝋と呼ばれるのがこれなのかと。
息子達も立ち会ったので死を見つめる良い機会だったと思います。

ボケが始まって山科の田舎に住まいしてから七年は経っていたので、既にあの世の人と思われている筈と家族葬にしました。

生前、ボケ前の母は「死んだらあの世から手を差し伸べるから」と言うのが口癖でした。
死に際の母はボケと意識の無い状態、あの世へ行って手を差し伸べられる筈がないと思っていました。

ところが一ヶ月余り前、母が夢に出てきて「やっと気が付いた」とだけ言い残して消えてしまったのです。
これから母が私に手を差し伸べてくれるそうです。