愛宕神社は神代、牛松山を神奈備として伊弉冉尊(いざなみのみこと)、

火産霊神(ほむすびのかみ)、大国主命の三神が祀られました。
古代、愛宕山は丹波国に属していたことが記録に残され、いくつもの山襞(やまひだ)が

重なった「愛宕山塊」に、牛松山も含まれていた可能性があります。
継体天皇元年(507)には社殿が創建されました。
『延喜式』神名帳に記載されている丹波国桑田郡の「阿多古神社」に比定されています。
社標には「本宮 愛宕神社」と記されています。
第40代・天武天皇の御代(673~686)、分霊が京都鷹ヶ峰に祀られました。
大宝年間(701~704)に、役小角(えんのおづの)と、白山を開山したと伝わる

泰澄(たいちょう)によって愛宕山が拓かれた後、天応元年(781)に慶俊僧都

和気清麻呂によって中興され、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立されました。
和気清麻呂は、光仁天皇に誓願して分霊を鷹ヶ峰から愛宕山に遷したとされています。
そのことから亀岡の愛宕神社が愛宕の本宮と称し、全国の愛宕神社の総本社としています。

鳥居をくぐり石垣下の参道を進みます。

正面に石段があります。

石段を上った左側に腕用ポンプの格納庫がありますが、幸いにも出番が無いようで、

長期保管されているように見えます。

右側の奥には社務所があり、手前には御神木の大杉が聳えています。
樹齢千年とされ、平成8年(1996)の測定値で幹回り5.07m、樹高29mあり、

亀岡の名木に指定されています。

社務所前に拝殿があります。

本殿前には「阿多古祀符 火廼要慎」と刻字された標石が建立されています。
愛宕神社は火防(ひぶせ)の神と信仰され、村々では愛宕講を組織して

愛宕へ代参月参りを行ないました。
代参者が持ち帰ったのが「火廼要慎」の護符で、各家庭に配られ、台所に張られていました。
また、4月から5月中旬にかけて3歳の時に参詣すると、

生涯にわたり火難・災難から免れる「愛宕三ッ参り」の信仰があります。

本殿は覆屋の中に納められています。

「全国愛宕本宮」と記されています。

現在の本殿は鎌倉時代後期の弘安3年(1280)頃に造営されたもので、

国の重要文化財に指定されています。
亀岡市内に現存する最も古い社殿とされています。
『日本三代実録』には、「阿当護神(愛当護神)」の神階が貞観6年(864)に従五位下、

貞観14年(872)に従五位上、元慶3年(879)に従四位下に昇叙されたと記されています。
平安時代末期から鎌倉時代初期、丹波国分寺が衰微して僧侶が愛宕神社に

奉仕するようになると、愛宕神は神仏習合により愛宕権現と称され、

本地仏として地蔵菩薩が造立されました。
明治の神仏分離令により地蔵菩薩は養仙寺に遷されました。

本殿の右側に豊受比賣神社(とようけびめじんじゃ)と火防神社があります。
豊受比賣は『古事記』では伊邪那美命(いざなみのみこと)から生まれた

和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に

鎮座したと記されています。
神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神とされています。

 

火防神社の祭神は迦倶槌神(かぐつちのかみ)で、伊邪那美命と伊弉冉尊から

生まれましたが、迦倶槌神は火の神であったため、

それが元で伊弉冉尊は火傷を負い亡くなりました。

本殿の左側には手前から蛭子神社・少毘古那神社(すくなびこなじんじゃ)・

埴山姫神社(はにやまひめじんじゃ)の三社殿とその奥に

稚産霊神社(わくむすびじんじゃ)があります。
蛭子神社は商売繁盛の神とされ、少毘古那神社の祭神・少毘古那は大国主命と共に

国造りを行い、様々な薬や酒、温泉を作られ病気の治療法を伝えた

医療の神とされています。
埴山姫神社の祭神・埴山姫は、土の神とされています。

 

稚産霊神社の祭神・稚産霊は五穀や養蚕を司り、

豊穣を約束する神として古くから信仰されています。

拝殿の東側にある八幡宮神社は天平年間(729~749)に宇佐八幡宮から

分霊して丹波国分寺境内に祀られていましたが、国分寺が荒廃したため、

天保6年(1835)に愛宕神社に遷されました。

八幡宮神社の北側にある高良玉垂大神(こうらたまたれおおかみ)の社殿があり、

武内宿禰(たけしうちのすくね)が祀られています。
武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の

各天皇に仕えたという伝説上の忠臣です。
応神天皇は八幡神と同一視され、八幡宮では第一の伴神として祀られています。

本殿前の西側に亀岡の名木に指定されているイヌマキの木が聳えています。

イヌマキの木の奥に天満宮社があります。

天満宮社の手前には東側に親子牛とされる石が祀られています。

西側には牡牛でしょうか?

天満宮社の奥に滝の落ち口があります。
上部に不動明王と思われる石像が祀られていますが、風化が激しいためか

像容は明らかではありません。

滝の下へと降りてきました。

北側に鳥居が建ち、手前に萩森大明神・宇都宮大明神が祀られた社殿と

奥に大山咋神(おおやまくいのかみ)・大山祇神(おおやまつみのかみ)が

祀られた社殿があります。

北側の参道へと下ってきました。

牛松山への登山口がありますが、舗装されているのは途中までで、

その先は徒歩になるようです。

 

次回は2年前に行った京都鉄道博物館を掲載します。