大宮御所・仙洞御所の拝観は一回の参加人数が30名~50名で一日5回と
制限されていますので、予め予約をしておくか、当日受付で整理券をもらう方法があります。
今回は当日申込みだったので、拝観まで約2時間の待ち時間がありました。
拝観は要所で宮内庁の職員から説明を受けることができますが、ほとんど忘れました。
仙洞御所は皇位を退かれた天皇の御所で、大宮御所は皇太后の御所となります。
かって、この地には豊臣家の本邸「京都新城」があり、
当時は太閤御所・太閤上京御屋敷などと呼ばれていました。
秀吉が没した翌慶長4年(1599)9月に大坂から秀吉の正室・北政所
(のちの高台院)が入り、居住しました。
寛永元年(1624)、北政所が亡くなり、寛永7年(1630)に後水尾上皇の御所として造営され、
その北側に東福門院の女院御所が建てられました。
多くの建物は、二条城から寛永行幸の際に使用された建物を移築・再利用されましたが、
後水尾上皇が存命中にも3回焼失しました。
その後、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の五代の上皇の仙洞御所として
使用されましたが、嘉永7年(1854)の大火で京都御所と共に焼失してからは
主だった建物は再建されていません。
現在の大宮御所は慶応3年(1867)に孝明天皇の女御・英照皇太后のために
女院御所の跡に造営されました。
明治5年(1872)、英照皇太后が赤坂離宮に遷御されてからは御常御殿のみを残して
整理されました。
参観者休所でビデオを鑑賞した後、拝観コースに入った所に大宮御所の御車寄があります。
三層の屋根が特徴的で、奥に連なる御常御殿への玄関となり、現在では
天皇・皇后両陛下などが宿泊される際などに使用されています。
西側には正門がありますが、一般の拝観は北側の出入り口から行います。
御車寄前の西側にはかっては仙洞御所の殿舎が建ち並んでいました。
大正、昭和天皇の即位の御大典の際に大嘗宮(だいじょうきゅう)がここに造営されました。
御車寄の東側に御常御殿がありますが、建物を外から見学するだけです。
英照皇太后が赤坂離宮に遷御されて以降、大正時代にはガラス窓の使用や
洋室への改装など現代の生活様式に合致するように改築がなされました。
現在は天皇、皇后、皇太子、および皇太子妃の行幸啓の際の宿泊に使用されています。
かつては京都を訪問する国賓の宿泊施設としても使用されましたが、
平成17年(2005)に京都迎賓館が完成したことで役割を終えました。
御常御殿の前の南庭には白砂が敷かれ、右側に白梅、左側には紅梅が植えられています。
南庭の周辺には松が植えられ、南側には小規模ながら竹林もあり、
全体で「松竹梅」の庭と称されています。
御常御殿の南庭から土塀の潜り戸(くぐりど)を抜けると眼前に東山を借景とした
北池の庭園が広がります。
寛永7年(1630)に作事奉行であった小堀遠州が、京都御所の造営を終えた後、作庭しました。
当初は女院御所の北池と仙洞御所の南池が分離されていました。
仙洞御所に入った後水尾上皇は武人であった小堀遠州の作庭に満足せず、
改修を行いましたが、仙洞御所は上皇が存命中だけでも3回焼失し、
御所の再建に伴い、庭園も改修が加えられました。
延宝年間(1673~1681)に女院御所庭園が改修されたのに伴い、北池と南池が繋がり、
現在のような池泉回遊式庭園になったと考えられています。
庭園入口の南側に茶室・又新亭(ゆしんてい)があります。
宝永6年(1709)、この地に修学院離宮の上御茶屋から茶室「止々斎(ししさい)」が
移されましたが、天明8年(1788)の大火で焼失しました。
その後、光格上皇のために茶室が再建されましたがそれも焼失し、
弘化元年(1844)に近衛家にあった現在の茶室が寄進、移築されました。
又新亭の東側には船着き場があります。
又新亭の入口は南側にあり、拝観コースの最終となります。
門の外側には外腰掛があり、紅葉山裾野の蘇鉄山(そてつやま)と相対しています。
蘇鉄山には燈籠があり、蘇鉄が植えられています。
船着き場から東の半島は紅葉山と呼ばれ、秋には美しい紅葉が楽しめるようですが
現在の景色です。
北池を北へと進むと「六枚橋」と呼ばれる石橋が架かり東側に水の落口があります。
西側は阿古瀬淵(あこせがふち)と呼ばれ、豊臣家邸宅庭園の遺構と伝わります。
背後に見えるのは大宮御所の築地塀です。
画像はありませんが、平安時代には阿古瀬淵の付近に紀貫之の邸宅があったとされ、
阿古瀬淵の北側の小高い丘の上には石碑が建っています。
北池の南側です。紅葉橋を挟んで右側は紅葉山、左側は鷺の森と呼ばれています。
北池の北の上部には鎮守社があり、伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、
石清水八幡宮、春日大社が祀られています。
順路は北池の北側から南へと橋を渡り、小さな島に移ります。
小島から入ってきた御庭口門を望みます。
小島の東北方向にも水路から水が流れ落ちています。
鷺の森と紅葉山との間に架かる紅葉橋を渡り、池の西側へと戻りました。
鷺の森の南側には滝があります。
滝は幅80cmで約180cmの落差があります。
滝の南側には何時の頃からか鷺が住着いているそうです。
背後に見えるのは土佐橋で、土佐藩主・山内家から献上されました。
八ッ橋の南側から醒花亭(せいかてい)の前までの州浜には
11万1千個の石が敷き詰められています。
石は小田原藩主・大久保忠真 (ただざね)が領民に集めさせ、
石一個を米一升と交換したことから「一升石」と呼ばれています。
八ッ橋を渡ります。
かっては木造橋でしたが、明治28年(1895)に御影石8枚を稲妻形に繋いだ
現在の形に変更されました。
八ッ橋には樹齢130年になる4本の藤の木から成る藤棚が設けられ、
5月に見頃になるそうです。
橋から南池の南側をみると、葭島(よしじま)があり、
奥に見える建物は醒花亭(せいかてい)です。
八ッ橋を渡って中島へと移ります。
中島の東岸にはかって、滝殿、釣殿、鑑水亭などの建物があり、
仙洞十景の「釣殿飛蛍」と謳われました。
残念ながら嘉永7年(1854)の大火で焼失後、再建されませんでした。
中島から池の東側へと移り、南へ進むと醒花亭があります。
醒花亭は庭園の最も南に位置する茶亭で、東側の建物は、奥に四畳半の書院、
手前に五畳の入側(いりがわ=縁側)があります。
「醒花」は李白の詩から採られ、入側の鴨居の上には中国・明時代の
郭子章(かくししょう)の筆による拓本の額が掲げられています。
醒花亭前からは南池が一望でき、州浜に沿った北への直線の道は「桜の馬場」と呼ばれ、
間もなく満開の桜が楽しめるそうです。
醒花亭の西側に置かれている手水鉢。
画像はありませんが、この手水鉢から西の方に縦7.35m、横3.75m、
深さ4mの防火用水の槽があります。
かっては西賀茂氷室町の氷室で製造、貯蓄されていた氷が夏場にこの場所に運ばれ、
食物の冷蔵などに使われていました。
醒花亭の西前方には塚らしきものが見られ、「さざえ山」と呼ばれていますが
7世紀の古墳とされています。
醒花亭から北へ進んだ所に柿本神社があり、柿本人麻呂が祀られています。
霊元上皇の時代に勧請され、「人麿(ひとまる)」を「火止まる(ひとまる)」と
解し火防の神として祀られたと考えられています。
































