「大軍師司馬懿之軍師聯盟(全42話)」のあらすじ。
中国語版のざっくり解読なので間違ってるところもあるかもしれません。
[第二十一集]
赤壁の戦いの二の舞になるとはよく言ったものだ…魏王は仲達に、楊修が失職した今、お前が子建を補佐してくれないかと囁く。仲達は凍り付き、それは子建公子が受け入れないだろうと言うのが精一杯。だが魏王は確かにもう手遅れだったなと呟き仲達を下がらせた。
仲達は牢の楊修に会いに行く。楊修はやっと自分に相応しい敵に会えたのにもう戦えないのは残念だと告げるが、仲達は貴方を敵だと思ったことはない、いつも自分を見るようだったと答える。思えばあの日、処刑人の刀が振り降ろされようとしたあの時から二人の戦いが始まった。それはいつしか後継争いに変わり、そして今…我々の戦いと思っていたものも結局は誰かの掌で動かされる駒でしかなかったのかもしれない。
そこへ王から処刑令が届く。楊修を即刻斬首せよと。楊修は兵士が運んできた最後の酒杯を受け取る。楊修は酒を半分飲み仲達に手渡す。仲達は残りを飲み干した。楊修は子建の事をどうかよろしく頼むといって処刑場へと去って行った。
子建は太子の地位などいらないし兄とも争わないからどうか楊修の命だけは助けてほしいと懇願するが、魏王は淡々と執行命令を出す。楊修は斬首された。
その直後、魏王は夢を見た。三匹の馬が一つの桶の餌を食べている、殺せ、その馬を殺せ!目が覚めた魏王はそこにいた程昱に剣を突きつけていた。我に返った魏王は夢を診断させようと楊修を呼ぶが、彼はもうこの世にはいない…。
魏王は司馬懿に東呉へ行き孫権と盟書を交わしてくるよう命令を下す。仲達は従者として男装した春華を連れ、魏国使者として発つ。
孫権は曹操の使者としてやって来たのが司馬懿という名も聞いたことがない30そこらの若造だと知り訝しむ。軍師・張昭の情報では曹丕の配下らしいが何の功も立てた事のない文官で、官職に就く親のコネで行軍司馬になったようだと。なぜ曹操はそんな男を使者に?しかしかの諸葛孔明も使者としてやって来た時は27歳だった、若造とて油断は禁物だ。
孫権の前に現れた司馬懿は、聖旨により孫権を驃騎将軍、荊州牧・南昌侯に封じると伝える。張昭は、魏王が天子を捕えてその威光を振りかざし諸侯を威圧していることは皆が知るところ、その聖旨も天子ではなく魏王の意図であろうと厳しく批判する。司馬懿はそれは違うと否定。魏王は天子と漢王朝を保護しているのだ、漢王家を狙う逆賊どもの矢面に立っているのだと。そしてかつて董卓が漢天子を襲った時に曹操と共に戦うと誓った孫堅将軍の遺志を継いで漢王朝のために逆賊と戦うのが親孝行の道であろうと説く。
孫権はその達者な喋りに苦笑し、逆賊とは誰を指すのかと皮肉を込めて尋ねる。仲達は答える「それは荊州の関羽です。」朝臣らは皆大笑いする。関羽は天子自らが漢寿亭侯に封じたのだ、その彼を天子の命で誅するとはいかなる事か?ましてや荊州は江南(呉)の地。自分の土地の者を逆賊として討つとは如何に?しかし司馬懿は関羽が長年荊州の税を収得しており呉には一銭も入らず名ばかりの領地になっていることを指摘する。孫権は劉備との同盟関係の下でそんなささいな事は問題にしない、魏王は赤壁の戦いですっかりひるんで関羽に臆しているのかと嗤う。すると司馬懿は、このまま放っておけば荊州は劉備勢の実効支配となり取り戻すことは不可能になると迫る。「関羽など魏国にとっては蚤に噛まれたようなものですが東呉にとっては将来災厄の種になるやもしれませんぞ。」
孫権は一度協議するといって司馬懿を下がらせた。魏王はなかなかの人物を擁しておるな…孫権はこの若造が第二の孔明たるかもしれぬと警戒を強めるのだった。
夫が孫権を見事に言い負かしたと春華は愉快そうだ。夫婦仲良く江南の新鮮な魚料理に舌鼓を打っていると、東呉の若手のホープと噂される陸遜(伯言)将軍が訪ねてきた。
仲達は陸遜に今回の目的は長い戦に疲弊している江東の地を休ませることだと告げる。戦で苦しむのはその土地の民だ、彼らのために魏国と呉が協力して関羽を追い出し北上せんとする劉備を討とう。陸遜はしかし欲深い魏王が勝利に乗じてさらに南下することがないとは保証できまいと言う。仲達は魏王はもう御年65ですと答える。わたしに魏王を止める力はないが、太子に働きかけることはできるという意味だ。
陸遜は司馬懿が魏国太子に内定している曹丕の信頼する軍師で、曹丕が王となればおそらく彼が政事を一手に担うことになりそうだと孫権に報告する。司馬懿と良い関係を持っておくことは今後に重要となって来る。
孫権は主将の呂蒙将軍に病気だと偽って撤退させ、追って来た関羽を副将の陸遜が後方から挟み撃ちにする作戦に出ることに。まだ名の知られてない陸遜なら関羽も油断するに違いない。劉備に諸葛亮が、曹操に司馬懿がおるなら、我が東呉には陸伯言のような若く優れた才能がおることを皆に知らしめるのだ!孫権は自らの剣を陸遜に授ける。
同盟をとりつけ帰って来た仲達。孫権は何と言っておったかと魏王は問う。彼は天子に帰順しても魏王に帰順はせぬ、己が天子と思い込むなと言ってたと聞くと、魏王はあの青二才をあぶり焼きにしてやりたいものだと笑う。それに対しどう言ったのだと尋ねると仲達は無言で何度も礼を繰り返した後言った「我が王は周の文王のようになりましょう、と。」(※殷を倒し周王朝を興した武王は亡き父を文王に追号した。曹丕が新王朝を興し曹操を父帝として追号するでしょう、という意味になり、曹操が死んだ後という仮定が入るため目の前の曹操に対しては非常に失礼な話になる。)
[第二十二集]
我が王は周の文王のようになりましょう、孫権にそう告げたという仲達に、しかし魏王は怒るでもなくその通りだと言う。わしは漢臣だ、後世の史書に漢の反逆者と記されたくはない。わしに天下を治める運命があるというなら周の文王のように死んだ後に追号されればそれでよい、と。
魏王は何でもお見通しだなと言い、今まで何度お前を殺そうと思ったか当ててみろと迫る。仲達が六回でしょうかと答えると、魏王は今日を入れて七回目だと答えた。東呉との同盟がまずかったわけではない、ある夢を見たからだという。三匹の馬が一つの桶の餌を食べている夢。その夢の解釈を問われた仲達はあれこれ適当な事を言って逃れようとするが、三匹の馬は司馬を意味するだろうとずばり突っ込まれた。仲達は必死に、わたしは馬でもロバでもないし馬と言うならわたしは馬革に屍をつつむ覚悟(戦場で戦って死ぬ覚悟)で犬馬の労も厭いません(主人のためなら何でもやります)と答える。魏王は笑って言った、お前の聡明さがお前を殺さなかった理由だ。今対立している三国の中で魏国は兵力は最強だが内政最も乱れている。お前が子桓を助け天下を統一する夢を達成してほしい。
そう言うと魏王はふらふらと立ち上がり倒れてしまった。
魏王が倒れたと聞いて子桓は急ぎ駆けつける。魏王は留守の間に子桓が都で起きた反乱を抑え厳格公正に処置したことを褒め、今まで厳しく接し叱ってばかりだったかもしれないと呟く。やっと父から褒められた…子桓の頬を涙が伝う。
魏王は一巻の書を取り出す。そこには子桓を太子に立てると書いてあった。子桓は父と共に戦い必ずこの乱世を平定してみせると誓う。魏王はあの司馬懿は新時代の創生には必ず役に立つが今後友人として接してはならない、臣下として扱い決して情に流されるなと強く言いつける。王が自分を「孤家」「寡人」と言うのは決して形式上の事ではないのだ(トップとは孤独でしかるべきなのだ)と…。(※孤家、寡人は王や君主の一人称。)
関羽は敗北し孫権によって殺され、その首は魏王の元へと送られた。魏王は名将・関羽に最大限の敬意を表し関羽の体を木で作らせ首と一緒に手厚く葬った。
魏王は司馬懿を連れ郊外へ出向く。多くの友そして敵が一人また一人とこの世を去っていく、そして自らもそう長い事もあるまい。劉備、孔明、孫権…これらの敵はお前と子桓に残していく、司馬懿にそう告げる。
目前に農村の親子が歩いていくのが見える。子供はこの洛陽に伝わる歌を歌っていた。若くして従軍し老いてやっと故郷へ戻ったが家族は皆死んで誰もいなくなっていたという歌だ。長年の戦によってこの歌のように家族を皆亡くした世帯は数知れない。百姓らが安らげる世界を、自分には成し得なかった太平の世を子桓と共に作ってくれと魏王は司馬懿に託すのだった。
新年を迎え恒例の祝賀行事が銅雀台で開かれる。魏王は皆の前で、これまでに自分を支えそして亡くなっていった兄弟親族や臣下、戦場に散った英雄たちに杯を捧げ、槍を掲げて演武を舞う。
[第二十三集]
魏王は皆の前で槍をしごいてみせるが途中でふらつき朝臣らは心配する。見事最後まで演じきったが、その直後倒れてしまった。
死期を悟った魏王は子建を呼ぶ。お前に国を継がせようと考えたのは誤りであった、お前の詩人としての人生を失わせることになったが、これからは兄に逆らうことなく大人しくして生きていけと告げる。
魏王は朝臣らを呼ぶ。自分の葬儀は簡素に行え、百姓らの負担を増やさぬこと、一切の宝物を陪葬しないこと、自分の衣服は王后に与えよ、子桓と子建はこの土地を、誰の手にも渡さぬように…。そして魏王・曹操はこの世を去った。
曹操の葬儀はそのまま洛陽で行われた。丁儀は子桓が王位に就けば積年の恨みから殺されるに違いないと、子建に洛陽の軍を使って王位を強奪すべきだとけしかけた。
仲達は葬儀長を務める賈逵に、子建の一派が反乱を起こす可能性があると告げる。また長安の子文(曹彰)も多くの兵を擁しており場合によってはクーデターを起こすやも。早い所王の棺を鄴城へ運び王の玉璽を子桓に渡さなければ。子桓が洛陽に来るのを待っていては遅い。賈逵は預けられていた玉璽を仲達に渡す。しかし仲達が洛陽を離れれば必ずや丁儀が動く、そのため妻の春華に鄴城へ走ってもらうことに。
明朝、予想通り子文が兵を率いて宮殿へ乗り込んできた。そして玉璽を出せと迫る。玉璽は太子のもの、そう言う賈逵や子丹の声に耳を貸さず、今朝方司馬懿の名で城を出た者がいるという報告を聞いて子文はいきなり剣を抜いて仲達の胸を刺した。
子文の追っ手が春華に迫る。馬をやられた春華は凍てついた河に立ち、背負っていた荷物を放り投げ自ら氷を割りぬいて河へと沈んだ。兵士らは荷物を回収し戻って行った。
子文の制圧下に置かれた洛陽宮。丁儀は亡き魏王が臨終の際にやはり子建に国を譲ろうとしていたと囁き、子建と亡き魏王のために子桓と戦ってほしいと子文に要請する。そしてあの司馬懿と賈逵を殺してしまえば子桓を支える柱はなくなると唆す。
回収させた春華の荷物は玉璽ではなく大きな石が入っていただけだった。子文は司馬懿と賈逵を鞭打ち玉璽の在りかを吐かせようとする。その酷い拷問を見るに耐えかねた子建が止めに入る。父が苦心して作り上げた魏国を、我らが兄弟の争いで壊してしまうつもりなのですかと。しかし子桓が王になれば我々を決して生かしてはおかない、子文は子建を黙らせるため兵士らに連行させた。
[A] 司馬懿(仲達)
行軍司馬(軍事長)。子桓の軍師。鋭い洞察力の持ち主。
[B] 曹操(孟徳)
魏王。彼の思惑は誰にも推し量れない…。
[C] 曹丕(子桓)
五官中郎将。曹操の長男。後継の座を弟と争っている。
[D] 曹植(子建)
平原侯。曹操の三男。詩や音楽に長け、曹操のお気に入りの息子である。
[E] 楊修(徳祖)
主簿。子建の軍師。知識と野心に溢れた才人。
[F] 程昱(仲徳)
衛尉。
[G] 張春華
仲達の妻。元は江湖の剣侠のようだ。
[H] 孫権(仲謀)
東呉の王。長年南蜀と同盟していたが蜀将の関羽の家と婚姻関係を結ぼうとして断られたためその関係が悪化しつつある。
[I] 張昭(子布)
孫権の軍師。
[J] 陸遜(伯言)
東呉の若き将軍。
[K] 丁儀(正礼)
西曹掾。子建の軍師。片目が悪いことがコンプレックス。
[L] 曹真(子丹)
霊寿亭侯。子桓の従兄弟で腹心の将軍。
[M] 曹彰(子文)
鄢陵侯。曹操の次男。彼は早いうちから後継候補から外れていた。
[N] 賈逵(梁道)
曹操が信頼を置く将軍。
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