最近、ジャズを習い始めている。習い事は、素直さや謙虚さが大事であるように思う。これは武道から学んだことだ。

礼に始まり礼に終わる。礼をするということは、場や相手、道具に敬意を払うこと。それよって、自分を小さくしたり消したりする。それが素直さや謙虚さではないか。

Mr.Childrenの「名もなき詞」には次のような歌詞がある。「あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷ついていく。知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるなら誰だってそう、僕だってそうなんだ」。 自分らしさは出せば出すほど、逆に苦しむ。礼により自分を無くし相手に合わせる。だからこそ、教えを受けることが出来る。

人から教えて頂く時に「個性の発揮」ということをしていたら、いつまでたっても学べない。「個性」の胡散臭さはそこにある。「個性」というものが存分にあったら、何も学べないし変われない。教える側もそんな弟子では迷惑であろう。個性や自分なんてむしろない方が良いのだ。

妙なプライドは捨ててしまえばいい。そこからはじまるさ。
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朝、いつも見かける猫様。
みんながせっせと通勤通学をしている最中に、道端でのんびりと座っていらっしゃる。その後ろ姿が大変、愛くるしゅうございます。

人生ああ生きられたらいいのになぁ。なんか達観してるというか。老後は猫のようになりたい。
今日は朝から夕方まで授業で、ちょっと疲れた。就職ガイダンスのような時限でも、友人と会えるからそれほど苦ではない。

ガイダンスが終わって、廊下で友達と話していたら、一人がペットボトルを投げてきた。500mlのペットボトルで、まだ五分の一ぐらい入っている。これでキャッチボールをしようぜと言う。
ルールは片手で取らなければいけない。少しだけ中身が残っているから、回転させると変な作用が働いてキャッチが難しくなる。廊下だと迷惑になるからということで、場所を外に移してペットボトルキャッチボール大会が始まった。

オレを含めた友達5人が集まって、二回取り損ねたら罰ゲームというルールで始まった。ゲームは、かなり白熱した。結局、このゲームを作った奴が腕立て伏せの罰ゲームを一番受けた。もう二度としないであろう遊びだけに、面白かった。

ペットボトルは遊び道具ではないから、不健全な遊びかもしれない。ただ、遊びってそういうものだろうとも思う。
昔、学校の机で10円玉を弾いて、10円サッカーをしていたら先生にお金で遊んではいけないと注意されたことがある。たしかに、先生の言う通りだ。お金で遊んではいけない。しかし子供は、悪いとは思いつつも十円玉は丈夫だから、弾いても大丈夫だろうぐらいにしか思っていない。上手く言えないが、そうしたささやかな悪戯もしたくなるのものである。

もう立派な20代だけど、中学生がするような遊びにテンションが上がってしまった。就職ガイダンスを受けた後だったから、反作用が働いたのかもしれない。大人にならないといけない。けれど、もう少しだけ学生でいたい。もしかするとそういうことだったのかも。今日の遊びは、学生生活の思い出として、きっと忘れないだろう。