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今日は、ある職人さんの作業所へ行き、あるものの製造過程を見学させて頂いた。その職人さんは、その業界では日本で最高位にいらっしゃる方である。

なんで、こんなボヤけた説明なのかというと関係者に見られたくないからである。どうせ誰も見ないだろうと書いてるブログでも、知り合いの人に見られる可能性は万が一あるかもしれないと思ったりする。それなら書かなければいいじゃんと思うのだけれど、良い経験をしたりするとなんか表現したくなる。誰に対して書いてるわけではないけれど。

とにかく縁あって、職人さんの技を拝見させてもらった。生で見るとかなり迫力があった。集中力が凄い。魂込めて作られていた。長年培われてきた感覚で、作業は進んでいるようにみえた。機械も使われていたが、ほとんどが手作業だった。なんだか自分の知らない世界を見てしまったようだ。

道具がたくさんあった。生活の中で、これほど道具を使うことはないなと思った。現代では、何でもボタンを押せばすむ。お風呂も洗濯機も、パソコンも携帯も。本当は道具を使って身体を動かさないといけないのに。身体を使わないと感覚は失われていく。このぐらいだったら適当かな?という感覚がなくなる。適当がなくなると何も出来なくなるか、極端に何かしてしまうかどちらかではないか。そこに現代の病があるのではないか。

作業過程だけではなく仕上がった作品も見させて頂いて、その美しさに感動してしまった。また、完璧なものに対する恐れのようなものを抱いた。古来から伝承されてきた技術と叡知がぎっしり詰まっているように見えた。

こんな素晴らしい職人さんの仕事を拝見させて頂くことは一生に一度あるかないかのこと。しかも、その作られているものが自分が普段大切にしているものである。その製造過程の一部を見させて頂いただけでも大変勉強になった。生きてて良かったなぁと思う。
ニュースとかワイドショー番組を観てると、ずっと酒井法子の覚醒剤について報じている。もう分かったからっていうぐらい。そんなに報じたら他の重要な事件が消えてしまうではないかと思える。きっと酒井法子のニュースは視聴率がとれるのだろう。

以前から思っていたけど、メディアは他人の人生が転落する様を執拗に報じている。まるで水力発電のように、高い所から落ちてくるものを利用してエネルギーを生み出している。社会的地位や名誉が高ければ高いほど、真っ逆さまに落ちたときにエネルギーが生じる。メディアはそれをエサにして食っているようだ。

夕方のニュース番組とか観てると、酒井法子がゆっくり動いている映像が流れる。いかにも容疑者みたいな。そりゃあ、覚醒剤を使用したのだから逮捕されて当然だ。ただ、ゆっくり映像を流すことで、より視聴者に悪い印象を与えるような演出、それによって視聴者の関心を惹き付けようとするのはやめてくれって思った。普通に動いてる映像でいいじゃないか。

テレビ局は、ここが視聴率の稼ぎ所だ!みたいなことを常に考えている集団なのだろう。ということは、視聴率が稼げるような事件や事故やスキャンダルを常に待ち望んでいることになる。何も起こらないことが平和なのに。ニュース番組は視聴率を関係なくすればいいと思うのだけど。

選挙、行く?
ブログネタ:選挙、行く? 参加中



政治については無関心で、社会構造について不満はあるけれど、全てにおいて満足な構造なんてあり得ないし、オレの一票なんてどうしようもないやと思って今までは行かなかった。

だけど今回は行こうかなと思う。それは何か怪しい雰囲気があるからだ。怪しい選挙ポスターがいたるところに貼られている。多くの国民がその怪しい方向に票を入れないと信じたいが、もしかすると変なことにもなりかねない。自分も国民の一人なのだという自覚が湧いてくる。自分の一票の力で社会を怪しくない方向に引っ張りたい。自分でしっかり見定めないと危うくなる。

非力だけど、一票を投じる。不安な雰囲気の時は、一票の重みを感じる。