履歴書に貼る写真が多分足りなくなるだろうと思って、写真を撮ってきた。
物の本やサイトなどではインスタント写真は避けるべきと書いてあることが多いが、僕はいつもインスタントで済ませてしまう。どうせ一流企業へ正社員として入るわけでもないので、それでいいだろうと思っている。面接に行く会社へのこういう敬意を欠いた考えが、仕事を探す上では良くないのかもしれないが……。
それにしても、写真に写った自分の顔には、いつもながらどうも納得がいかない。人にはこのように見えているのかと思うと、だず~ん、と気分が落ち込む。鏡に映る自分の顔は、まぁ仕方ないなと思いながらも納得できるのだが、どうも写真だと納得できないのである。不思議ではある。インスタント証明写真じゃなくて、プロに撮ってもらえばもう少し納得できるのだろうか。
今日は呼ばれてボランティアとして某所へ参上。ここでは少しは自分も必要とされているのかもしれないと思えるので、少しはポジティブな気分になれる。仕事を探すのは苦痛なので、呼ばれるとついつい参加してしまって、仕事探しが進まない。まぁ逃げているということだけど、逃げておられるうちにそれでも 良いだろう。そのうち本当にせっぱ詰まったら、そうもしておれなくなるのだけど。
結局一ヶ月前の状態に戻ってしまったようなものなので、また職安通いを始めた。
今日は10時30分ごろに行ったら、とても混雑していて、仕事の検索も10名以上の待ちがあった。
まだ15年ぐらいは働かなければならないので、これまでの職歴が全く役に立たないというのは辛いことだ。でも考えたら、これまでラッキーだったのかもしれないとも思う。
僕は若干心臓に難があって、重労働ができないし、年齢も年齢なので、本当に限られた職種しかないのが現実。自分にあっているとか、あってないとか、言っている場合ではないのかもしれないけれど、なかなか踏ん切りがつかないのも事実だ。一度失敗しただけに、よけいだ。
人生かなり終わっている気がしてくる。前の会社がもう5年続いていたら……、などと考えてもどうしようもないことも、思ってしまう。
人生終わってるな、と思うと、が んばる気もしなくなってくる。
職安の外で、年配の失業者2人が話をしていた。
「……なら生活保護を受けた方がいいに決まっている」
「それをいうとイデオロギーになるで……」
何を話しているのかわからなかったけど、イデオロギーという言葉が似つかわしくない雰囲気の人だった。そう見えたけど、人に歴史あり、ということだろうか。
今日は10時30分ごろに行ったら、とても混雑していて、仕事の検索も10名以上の待ちがあった。
まだ15年ぐらいは働かなければならないので、これまでの職歴が全く役に立たないというのは辛いことだ。でも考えたら、これまでラッキーだったのかもしれないとも思う。
僕は若干心臓に難があって、重労働ができないし、年齢も年齢なので、本当に限られた職種しかないのが現実。自分にあっているとか、あってないとか、言っている場合ではないのかもしれないけれど、なかなか踏ん切りがつかないのも事実だ。一度失敗しただけに、よけいだ。
人生かなり終わっている気がしてくる。前の会社がもう5年続いていたら……、などと考えてもどうしようもないことも、思ってしまう。
人生終わってるな、と思うと、が んばる気もしなくなってくる。
職安の外で、年配の失業者2人が話をしていた。
「……なら生活保護を受けた方がいいに決まっている」
「それをいうとイデオロギーになるで……」
何を話しているのかわからなかったけど、イデオロギーという言葉が似つかわしくない雰囲気の人だった。そう見えたけど、人に歴史あり、ということだろうか。
「私には 、何も起きない場合の覚悟がある」
グレゴリー・ペレルマンがミハイル・グロゴフに語ったという言葉である。(『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―』春日真人著・新潮文庫)
「大きな難問に挑むのは魅力的だが大きければ大きいほど失敗したときのダメージは計り知れない」というグロゴフ博士に対して、ペレルマンは真面目な顔をしてそう言ったというのである。
僕は数学者ではないので数学の難問に挑むことはないけれど、凡俗な世界の小さな人生であっても、自分にとっては難問だと思わざるを得ないことに出会うことは多いと言わなければならない。全てを避けてとおることはできないし、どうにもならないと判っていても、向かって行かざるを得ないような気持ちになってしまうこともある。
何も起きない場合の覚悟がある、ということは、計り知れないダメージを受けてもそれに耐える強い意志を持っているということなのだろうか、計り知れないダメージを受けて壊れてしまっても後悔しないという真っ直ぐな気持ちを持っているということなのだろうか。
グレゴリー・ペレルマンがミハイル・グロゴフに語ったという言葉である。(『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―』春日真人著・新潮文庫)
「大きな難問に挑むのは魅力的だが大きければ大きいほど失敗したときのダメージは計り知れない」というグロゴフ博士に対して、ペレルマンは真面目な顔をしてそう言ったというのである。
僕は数学者ではないので数学の難問に挑むことはないけれど、凡俗な世界の小さな人生であっても、自分にとっては難問だと思わざるを得ないことに出会うことは多いと言わなければならない。全てを避けてとおることはできないし、どうにもならないと判っていても、向かって行かざるを得ないような気持ちになってしまうこともある。
何も起きない場合の覚悟がある、ということは、計り知れないダメージを受けてもそれに耐える強い意志を持っているということなのだろうか、計り知れないダメージを受けて壊れてしまっても後悔しないという真っ直ぐな気持ちを持っているということなのだろうか。